2012年10月24日水曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 試練がやって来ます


  
試練がやって来ます
  
 
人はそれぞれその性質に応じて別の試みを受けます。
落胆や恥辱や不信仰や疑念など、
重苦しい試練によって試みにあう人もいれば、
快楽や怒りや迫害など、
悪質な罪によって試練にさらされる人もいます。
しかし、パウロは
私たちが自分たちの肉的な欲望に抵抗して
霊にあって歩むように要求しています。
  
自分の肉的な欲望を悲しみもせずに、それらに追従して、
倦むことなくそれらを満たそうとする者は、
「キリストのもの」ではありません。
その人は、
たとえどれほど自分を「クリスチャン」という名前で着飾っていても、
実は自分自身を欺いています。
  
サタンが私たちを試みないでいることはありえません。
しかもサタンは私たちの中に適当な足がかりをもっています。
それは私たちの肉と血です。
これらはサタンがたちまちのうちに制圧してしまう強力な機器です。
  
私は今まで多種多様な苦難に直面してきました。
しかも、それらはきわめて困難なものでした。
しかし、聖書のどこかを読むか思い出すかして、
あたかも「聖なる碇」に信頼するように、その御言葉に信頼すると、
たちまち試みは力を失いました。
私にとってそれらの試みは、
御言葉の力によらないではわずかの間でさえ耐えることができず、
まして勝つことなど不可能であるようなものであったにもかかわらず。
  
祈ろうとすると、
「お前の心は悪い欲望で一杯ではないか。
だからお前は祈ることなどできないよ」
というような考えがしばしば浮かぶものです。
このような考えに対しては戦わなければならないし、
とりわけ、
試みが去るのを待ちながら
しばらく祈りをやめてしまったりしてはいけません。
そうではなく、
試みが一番激しいと感じられ、あなたには祈る力がないときこそ、
すぐに自分の部屋に引きこもり、心を込めてまじめに
「主の祈り」や何か祈りたいことを祈りなさい。
そうすれば、間違いなくあなたは、
試みがやみ、悪魔が逃げていくことを経験することでしょう。