2024年1月30日火曜日

「力なき者に力を」「マタイによる福音書」10章31節「雀と私たち」

「雀と私たち」


あなたがたは多くの雀よりもはっきり優れた存在なのですから、

恐れなくてよいのです。 

(「マタイによる福音書」1031節)

 

雀はどこにでもいるありふれた鳥であり、

とくに貴重であるとは思われていないでしょう。

雀の儚い命をかわいそうに思う人もあまりいないのではないでしょうか。

ところが神様は雀のこともよく養ってくださっています。

御自身の善なる御意思のゆえに神様は雀も世話しておられるのです。

 

「私たちは雀よりもはっきり優れた存在である」

とイエス様は言っておられます。

私たちはこのことを神様の御言葉から知ることができます。

神様は私たちの罪を帳消しにするために捧げられる犠牲として

御自身の独り子、主イエス様を私たちに賜りました。

この賜物は雀や天使のためのものではありません。

 

罪の圧迫とやましい良心の呵責から私たちを解放するために、

神様は私たちに御子を賜ったのです。

キリストの尊い血によって、

私たちは癒され、

私たちの罪は帳消しにされ、

良心の呵責は取り去られました。

こうして私たちには神様との平和が用意されました。

 

憐れみ深い神様は私たちの人生に関心をもっておられます。

あなたは病気ですか。

苦しみに押しつぶされそうになっていますか。

神様は私たちのもとに来られ、

「あなたがたは多くの雀よりもはっきり優れた存在なのですから、

恐れなくてよいのです」と言ってくださいます。

私たちは安心して自分のことを神様にすっかりお委ねしてよいのです。

「永遠の御腕」(「申命記」3327節より)が

私たちを運んでくださるのですから。

 

神様は私たちを立ち上がらせ、運び、救ってくださいます。

神様は私たちを一人にはなさいません。

「あなたの道を主に委ねなさい。主に信頼しなさい。

主が成し遂げてくださるからです」(「詩篇」375節)。

  

(祈り)私たちの御父様、

あなたは私たちのことに御心を配られ、

私たちに毎日食べる物をくださいます。

私たちは子どものようにあなたに信頼します。

御父様、私たちはあなたの善なる御意思の中に守られることを願います。

アーメン。

(関連聖句)「詩篇」372340

 

2024年1月19日金曜日

「力なき者に力を」「フィリピの信徒への手紙」4章13節「安全」

「安全」

 私を強めてくださる方によって、私は何でも行うことができます。

(「フィリピの信徒への手紙」413節)

 

海はキリスト信仰者の人生を描写するのに適したたとえです。

海面では嵐が吹き荒れていても、海の深部では完全な平和が保たれています。

私たちを取り巻く世界は常に動揺しています。

このような世界で生きていく中でも心の中が平和と安全に保たれるのは

神様の大いなる祝福です。

 

これは主の使徒パウロが実際に体験したことでもあります。


幾多の反対を受け様々な労苦を重ねながらも彼は

「私は自分のいる状況の中で自足することを学びました」

(「フィリピの信徒への手紙」411節より)

と手紙に書いています。

 

色々な理由から意気消沈したり狼狽したりする時、

私たちは「海面」にいるようなものです。


神様が常に私たちを導いて、終わりまで面倒を見てくださることへの信頼が

足りていないのです。

 

パウロは心の平和を保つ秘訣について

「私を強めてくださる方によって、私は何でもすることができます」

と表しています。


自分自身と神様との間に平和がなければ、

誰も安心して穏やかに過ごすことはできません。


イエス様における罪の赦しについて確信をもつとき、

私たちはさほど重要ではない他のことがらについて

「神様は、神様を愛する者たち(中略)と共に働いて、

万事を益となるようにしてくださることを私たちは知っています」

(「ローマの信徒への手紙」828節より)

と心穏やかに結論することができます。


そしてそのような時には動揺の中にあっても平和が保たれているのです。

 

(祈り)神様、

あらゆる理解を超える平和、

キリスト・イエスにあって私たちの心と思いを守る平和にあずかれるように、

どうか私たちを教え導いてください。

アーメン。            

(関連聖句)「フィリピの信徒への手紙」4413

2024年1月12日金曜日

「力なき者に力を」「詩篇」128篇2節「仕事の祝福」

「仕事の祝福」 

あなたは自分の手で労苦した実を食します。

それがあなたの幸いであり、あなたにとって良いことなのです。

(「詩篇」1282節)

 

仕事は呪いなどではなく、祝福を含んでいます。

仕事とは、

人が生活するために必要な経済的収入を得るために

神様がお定めになった秩序なのです。


「働こうとしない者は、食べてもいけません」

(「テサロニケに信徒への第二の手紙」310節より)。


私たちは仕事を奴隷のようにうめきながらやるのではなく、

女王のように行うこともできるはずです。

すべては人がどのような態度で仕事に取り組むかにかかっています。

 

自分の職業について質問を受けたある靴屋は

「私はキリスト信仰者であり、

自分の生活をまかなうために靴を修繕しています」

と答えました。

 

仕事は神様からいただく使命であり、

神様の御心を実現するために神様にお仕えすることです。

熱心に働くことを通して、

キリスト信仰者はこの世で必要な収入を得て、

隣り人を助け、神様の御国を拡大していきます。

仕事は神様がお定めになったものです。

それゆえ、

自らにゆだねられた仕事を果たしていくときに

私たちは奴隷ではなく自由なのです。

そこには仕事の喜びがあり、神様の祝福も秘められています。

 

神様は私たちの人生を教え導き、

御自分の賜物を私たちに分けてくださいます。

仕事は神様の家の運営に参加することであり、

神様からいただいた使命を忠実に果たしていくことです。

神様は今まで実際に与えてくださいましたし、

これからもさらに与えてくださいます。

 

それに対して、

神様との関係を調停し救いを報酬として受け取ろうとする目的でなされる

すべての仕事は呪われています。

 

(祈り)私たちの神様なる主の憐れみに私たちがあずかれますように。

私たちの手の労苦が祝福されますように。アーメン。

(関連聖書)「エフェソの信徒への手紙」659

2024年1月8日月曜日

「力なき者に力を」「ルカによる福音書」16章10節「小さい罪などというものはありません」

「小さい罪などというものはありません」

 小さなことに忠実な人は大きなことにも忠実なものです。

そして小さなことに不忠実な人は大きなことにも不忠実なものです。 

(「ルカによる福音書」1610節)

 

「小さい罪」などと言われる事柄があります。

しかし実は、そのようなものは存在しません。

神様の御言葉が自分の人生の指針であると信仰告白しているくせに、

いわゆる「小さな罪」を無害だと考えるのは危険な態度です。

その運用を委任されている他の人の資産を故意に目減りさせてしまう行為が

盗みであるとみなされるのはあまりありません。

例えばホテルやレストランにおいてある小物を「記念に」持ち去るといった

些細な窃盗はたいしたことではないと軽く考える人も多いです。

 

子どもの年齢を偽って旅行の切符を不当に安く手に入れようとする親は

神様の戒めを事実上ひどいやり方で破っています。

さらに悪いことには、

子どももそんな親から嘘をつくことを学んで

自分自身の良心を大きく傷つけていくようになります。

窮してつく嘘も他の罪と同じく、

神様の御前では人を滅ぼすに足る罪なのです。

 

人は自分にとって些細に思える罪に慣れてしまうと、

他のすべてのことにおいても善悪を判断する心が鈍くなっていくものです。

イスカリオテのユダの堕落は、

彼に委ねられた共有の資産から少しずつかすみ取るようになったことから

始まったのです。

「これはたいして悪い行いではないだろう」と彼は勝手に思っていたのです。

しかしのちに彼は自分の主を僅かな金銭と引き換えに売り渡してしまいます。

 

また、アナニヤとサッピラという夫婦はそろいあわせて使徒に嘘をつきました。

そのようなことをした彼らの最期がどれほど恐るべきものだったかは

以下に引用する「使徒言行録」5章から知ることができます。

 

「ところが、アナニヤという人とその妻サッピラとは共に資産を売ったが、

共謀して、その代金をごまかし、

一部だけを持ってきて、使徒たちの足もとに置いた。

そこで、ペテロが言った、

「アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、

地所の代金をごまかしたのか。

売らずに残しておけば、あなたのものであり、

売ってしまっても、あなたの自由になったはずではないか。

どうして、こんなことをする気になったのか。

あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ」。

アナニヤはこの言葉を聞いているうちに、倒れて息が絶えた。

このことを伝え聞いた人々は、みな非常なおそれを感じた。

それから、若者たちが立って、その死体を包み、運び出して葬った。

三時間ばかりたってから、

たまたま彼の妻が、この出来事を知らずに、はいってきた。

そこで、ペテロが彼女にむかって言った、

「あの地所は、これこれの値段で売ったのか。そのとおりか」。

彼女は「そうです、その値段です」と答えた。

ペテロは言った、

「あなたがたふたりが、心を合わせて主の御霊を試みるとは、何事であるか。

見よ、あなたの夫を葬った人たちの足が、そこの門口にきている。

あなたも運び出されるであろう」。

すると女は、たちまち彼の足もとに倒れて、息が絶えた。

そこに若者たちがはいってきて、女が死んでしまっているのを見、

それを運び出してその夫のそばに葬った。

教会全体ならびにこれを伝え聞いた人たちは、みな非常なおそれを感じた。」

(「使徒言行録」5章1〜11節、口語訳) 

 

イエス様はすべての罪を帳消しにしてくださいました。

それは、私たちがすべてにおいて忠実であるためなのです。

私たちがそのように行動するとき、

神様は私たちに大きなことをもゆだねてくださいます。

  

(祈り)イエス様、私たちに正しいことを教え、

まちがったことについて警告してくださることをあなたに感謝します。

私たちのすべての詐欺めいた行いを、どうか赦してください。

あなたが私たちに

本当にすばらしいことをもゆだねてくださるようになるために、

まず私たちを「不正の富」の忠実な管理者としてください。

アーメン。

(「不正の富」とは「ルカによる福音書」169節にでてくる表現で

「金銭」のことです(訳者註))

(関連聖句)「ルカによる福音書」16113