5月16日
あなたたちは子供たちであるので、神様は「私のお父さん!」と叫ぶ御子の御霊を私たちの心に送られたのです。
(「ガラテアの信徒への手紙」4章6節)
人は、「自分の罪が赦されている」ことだけではなく、また「自分が神様の子供であり、確実に救いに与っており、喜びと信頼にみちた心で神様を「愛するお父さん」とお呼びすることができ、そのようなお方として神様に祈れるのだ」ということを、揺るがず疑わずに信じるときに、神様はこのような叫びを知ってくださいます。これについて私たちは、自分の命に対する確信よりもさらに大きな確信、この慰めを捨てたり疑ったりするくらいならどんな死に方でも喜んで受け入れる用意があるほどの確信を持たなければなりません。
5月17日
(「ヨハネによる福音書」14章26節)
御言葉に触れるのは、たとえそれがいつも私たちを感動させるわけではないとしても、有益なよいことです。それにより、必要に応じて私たちの心が聞いた御言葉を思い出して正しく理解し、その力と慰めを感じるようになります。それはちょうど、灰に覆われてくすぶっていた火の粉が、そこに空気を送り込んでやるとぱっと燃え上がるようなものです。
5月18日
イエス様は答えて彼に言われました、「もしも人が私を愛するならば、その人は私の言葉を守るでしょう」。
(「ヨハネによる福音書」14章23節より)
これはモーセの言葉でも律法の説教でもなく、キリストが私たちに対して示してくださった愛と恵みについての説教です。この恵みと愛は、キリストが私たちの罪を御自分の上に引き受けて御自分のすべてを私たちに贈るために、体と血をささげてくださったところにあらわれています。この御言葉は、それによって私たちが慰めを受け、それを通してキリストの愛を知るためのものです。もしも私たちがこのことを信じるなら、キリストが私たちに期待なさっているのは、私たちが感謝してこの信仰と告白にとどまり、キリストの喜びと栄光となるために、言葉と行いによってキリストの王国を広げていくことである、とわかるでしょう。
5月19日
もしもあなたがたが私を愛するなら、あなたがたは私の命令をまもるでしょう。そして私は、父が他の助け主をあなたがたに与えてくださるよう、父に祈るでしょう。それにより、この助け主があなたがたと共に永遠にいてくださるようになるためです。この真理の御霊をこの世は受け入れることができません。なぜなら、この世はこの方を見も知りもしないからです。しかし、あなたがたはこの方を知っています。なぜなら、この方があなたがたのもとにとどまられ、またあなたがたのうちにおられるからです。
(「ヨハネによる福音書」14章15~17節)
キリストが描き出しておられるように、聖霊様は恵みと慰めの御霊であるということを私たちは知り信じなければなりません。このように三位一体なる神様はあらゆる面から私たちを慰めてくださいます。御父様は聖霊様を与えることによって慰めてくださり、御子は聖霊様が私たちに与えられるように祈ることによって慰めてくださり、聖霊様は御自身が慰め主であることによって慰めてくださるのです。
5月20日
あなたたちもまた、キリストにあって真理の御言葉、あなたたちの救いの福音を聞き、そしてキリストを信じたときに、聖霊様の約束の証印を押されたのです。聖霊様は私たちがあがなわれ神様の栄光を賛美するためにと(神様の御国を)受け継ぐ保証であられます。
(「エフェソの信徒への手紙」1章13~14節)
福音は、神様の恵みの「甘さ」についての愛らしい説教です。太陽光線があらゆるところを暖かくするのと同じように、それが説教されまた聴かれるところに聖霊様を連れてくるほど、それは本当に甘いのです。