2018年2月14日水曜日

マルティン・ルター「活きるために」「エゼキエル書」36章26~27節(その2)

私はあなたがたに新しい心を与えます。
新しい霊を私はあなたの只中に与えます。(中略)
私の霊をあなたの只中に与え、
あなたがたが私の戒めに沿って歩み、
私の公正を守り実行するように、働きかけます。
(「エゼキエル書」362627節)(その2)

神様は、
御言葉と説教職(牧師職)を用いないやり方で、
誰かに御霊を賜ることはありません。
神様御自身がキリストのみを宣べ伝えるためにこれらを設定し、
命じておられるからです。

神様の御言葉を読む人に、
聖霊様は御言葉によって語られます。
聖霊様の語りかけは聖霊様の書かれたものであり、封印なさったものです。
聖霊様が語られ、手にペンをもって、心に文字を刻まれるとき、
人はまったく変えられて「あること」が確実に起きます。
すなわち、御言葉がその人の心に書き込まれ刻印されるということです。
その人は御言葉を担保、指輪、印章として携帯するので、
それを疑うこともなくなります。


聖霊様が私たちの中で働きかけてくださることは、すべて霊です。
しかし、私たちが御霊なしに肉(罪深い性質)に従って
自分を喜ばせるために行うことは、すべて肉と呼ばれます。
それゆえ、キリスト信仰者のあらゆる行い、
たとえば結婚相手を愛すること、子どもをもうけること、家庭を維持すること、
両親を敬うこと、公共の行政機関に対して従順であることなどは、
御霊の実なのです。

2018年2月9日金曜日

マルティン・ルター「活きるために」「エゼキエル書」36章26~27節(その1)

私はあなたがたに新しい心を与えます。
新しい霊を私はあなたの只中に与えます。(中略)
私の霊をあなたの只中に与え、
あなたがたが私の戒めに沿って歩み、
私の公正を守り実行するように、働きかけます。
(「エゼキエル書」362627節)(その1)

聖霊様は、ふらふら漂い動いているのではなく、
確実に存在し確実に行う教師のようなお方です。

御霊は恵みによって
(人の)心が自ら活発に善きわざを行うようにしてくださるので、
人は神様の栄光のみのために無償で自由に働くようになります。
信仰と御霊によって、
その人はすでに義とされており、
救いの幸いにあずかっているからです。
どのような行いも、
人にこのこと(義と救い)をもたらすことはできません。


ただ聖霊様のみが(人の)心を照らして信仰を点すことができます。
しかし、
目に見える牧師職や目に見えるサクラメント(聖礼典)を用いないで
聖霊様がこのことを実行することはありません。

2018年2月1日木曜日

マルティン・ルター「活きるために」「フィリピの信徒への手紙」2章5~8節(その3)

キリスト・イエスの心と同じ心をあなたがたも持ちなさい。
キリストは神様のかたちの中にありながらも、
神様と等しいものであることに固執せず、
御自分を空しくして、奴隷のかたちをとられました。(中略)
キリストは御自分をへりくだらせて、
死にいたるまで、十字架の死にいたるまで従順であられました。
(「フィリピの信徒への手紙」258節)(その3)

「キリストを信じること」とは、
「キリストをいただいている人は、
御父、すべての恵み、神様からの賜物、そして永遠の命をいただいている」、
と確信することにほかなりません。

私は確約しますが、
あなたはキリストを信じる 時に、
あらゆる恵みと義と平和と自由とをいただけます。
信じるなら、本当にいただけるし、
信じないなら、いただけません。

キリストを主としていただいている
キリスト信仰者をおびえあがらせるものは、
この世の中には何も存在しません。
罪にはそれはできません。
キリストが私たちの罪を身代わりに引き受けてくださったことを、
私たちは知っているからです。
死にもそれはできません。
キリストが死に打ち勝ってくださったからです。


信仰を通して、キリストは私たちのうちにおられます。
しかも、私たちと一体になっておられるのです。