2015年12月23日水曜日

「ルターの祈りの本」 お腹がすいて心配しているときに(その1) 

お腹がすいて心配しているときに(その1) 


愛する神様、
どうして私はお腹が空いていることや生計のことで
悩んだり悲しんだりしているのでしょうか。
どこからあなたは畑の穀物やあらゆる果実を与えてくださるのでしょうか。
世はどれほど知恵と力をふりしぼったところで、
小さい葉っぱ一枚や花一輪さえも生み出すことができません。
ところが、主なるあなたは
一切れのパンから好きな分だけのパンを作り出せるのです。
私の主はこのようなお方なのです。
しかも主はその際、畑仕事や風車小屋やパン工場を必要としていません。
あなたが日々このような業を行われているのですから、
あなたには私を養うことができないとかそのつもりがないなどと、
どうして私は悲しんだり疑ったりしましょうか!

(次回更新は1月13日頃になります)

2015年12月16日水曜日

「ルターの祈りの本」 神様をお客様としてお迎えすること


神様をお客様としてお迎えすること


主イエス様、
どうか私のところに来て、私のパンと銀と金を用いてください。
あなたのために用いられるとき、
それらの賜物はとてもよいやりかたで用いられることになるからです。

2015年12月11日金曜日

「ルターの祈りの本」 土地の作物について

土地の作物について

愛する主なる神様、
あなたの恵みにより、畑の作物を守ってください。
空気をきれいにし、雨で潤し、天候をよくして、
作物がすくすく成長するようになさってください。
毒が回った作物を人間や動物が食して
伝染病や熱病やその他の病気に罹ったりしないように、
どうかお守りください。

愛する神様、
どうか作物が祝福されますように。
作物が私たちに健康と幸福をもたらすものになるよう、
私たちが利用できますように。
私たちが作物を悪用して、
自分たちの魂をだめにしたり、
罪を重ねたり、酒におぼれたり、
怠惰に陥ったりするようなことがありませんように。
これらの悪弊からは、
不道徳と姦淫と悪い言葉遣いと
殺人と戦争とあらゆる不幸とが生じるからです。

あなたの賜物を
私たちの魂の救いと生活の改善のために用いることができるよう、
どうか私たちに恵みを授けてください。
それにより、
土地の作物のおかげで人間の身体と魂とが維持されて
成長していくことができますように。
アーメン。


2015年12月4日金曜日

「ルターの祈りの本」 あらゆる必要なものについて(その2)


あらゆる必要なものについて(その2)

主よ、私は知っています。
私は自分で日々のパンの一切れさえも手に入れることはできないし、
自分を危険や不幸な出来事から守ることもできません。

それゆえ、
あなたが私に命じまた与えることを約束なさっている通りに、
私は待ち望みつつあなたに祈ります。

あなたは、
心配している私のことをちょうど間に合うように助けに来て、
私の抱えている問題をあなたに関わる心配事として扱ってくださるからです。
もしもそれがあなたの御心に適うことでしたら、
どうかそのようになりますように。

2015年11月27日金曜日

「ルターの祈りの本」 あらゆる必要なものについて(その1)

あらゆる必要なものについて(その1)


愛する主よ、
私たちに日々のパンと良好な天候と健康をお与えください。
私たちを伝染病や戦争や飢饉からお守りください。
しかし、もしもあなたがすぐにはそうなさらずに、
私のことをある程度試験した上で
それらを与えたいと望まれるのでしたら、
どうかあなたの御心がなりますように。

本当に必要な時に、
私を悪から救い出してください。

もしもその時救うおつもりがなければ、
私に力と忍耐とをお与えください。

アーメン。

2015年11月20日金曜日

「ルターの祈りの本」 使用人の祈り

使用人の祈り


愛する主なる神様、私はあなたに感謝します。
あなたは私に使用人という地位と仕事を与えてくださいました。
私はこの仕事があなたに喜んでいただけるものであり、
これを通して修道院の人たちよりも優れたやりかたで
あなたにお仕えできることを知っています。
あなたは人に「修道院に入れ」とは命じておられないからです。

私には神様の御命令として第四戒が与えられています。
それによれば、
私は父と母を敬い、
できるかぎり熱心に忠実に主人に仕え、
その生計を助けなければなりません。
それゆえ、私は
愛を込めて機嫌よくこの戒めに従いたいと思います。
主人の意に沿うように喜んで自分の仕事を行いたいと思います。
そして、神様が禁じておられることはやらないようにしたいと思います。
自分の主人に叱られても私は気にしません。
私の職務はあなたへの奉仕であり、あなたに喜ばれる生活なのですから。

私の贖い主なるイエス・キリストも、
ガリラヤのカナでの結婚式に参加した際に、
御自分の母親に仕えることを通して式を盛り立ててくださいました
(「ヨハネによる福音書」第2章)。
ということは、
私も「使用人」という職務の誉れとして、
喜んで何かを行い耐え忍ぶべきではないでしょうか。
それゆえ、
私はあなたの部屋で「子犬」と暮らすことになろうとも、
それを拒みたくはありません。
子犬なら、少なくとも地面に落ちるパンくずをいただくことができるからです
(「マルコによる福音書」72430節)。
あなたは私に対して何の負債もありません。
私はあなたの恵みと憐れみの中に避けどころを求めます。

アーメン。