2018年5月30日水曜日

マルティン・ルター「活きるために」「詩篇」103篇2~5節(その3)

私の魂よ、主をほめたたえなさい。
主のすべてのみわざを忘れてはいけません。
主はあなたのすべての罪を赦し、
あなたのすべての病を癒してくださいます。
主はあなたの命を滅びから贖い出し、
恵みと憐れみによってあなたに冠を載せてくださいます。
主は善性によりあなたの一生を満ち足らせてくださいます。
そうして、あなたは鷲のように若返るのです。
(「詩篇」10325節)(その3)

なにか悪いことに遭遇したときには、
神様を賛美するように心がけなさい。
そうすれば、すぐに気分が軽くなることでしょう。
ほかの慰めはまったく役に立たないか、
あるいは欺瞞的な慰め方をするからです。
しかもこれは最も有害な慰めなのです。


私が心から希求しているのは、
皆が音楽の素晴らしい神的な賜物を感謝し賛美するようになることです。
音楽のもつ良い特徴があふれるほどに私の上に注がれるおかげで、
私がいったん音楽について語りだしたら、
もう止まらなくなるほどです。

2018年5月25日金曜日

マルティン・ルター「活きるために」「詩篇」103篇2~5節(その2)

 私の魂よ、主をほめたたえなさい。
主のすべてのみわざを忘れてはいけません。
主はあなたのすべての罪を赦し、
あなたのすべての病を癒してくださいます。
主はあなたの命を滅びから贖い出し、
恵みと憐れみによってあなたに冠を載せてくださいます。
主は善性によりあなたの一生を満ち足らせてくださいます。
そうして、あなたは鷲のように若返るのです。
(「詩篇」10325節)(その2)


神様の御名を口に出したり、
神様の栄光を紙や壁に書き込んだりすることは、
簡単にできます。

しかし、
神様をそのよきわざについて根底から賛美して讃えることや、
あらゆる障害の中において安心して神様に助けを求めることは、
信仰に次いで、
まことにあらゆることの中でも最も高貴なわざです。

私たちは、
そのような行いがキリスト教会の中にどれほど僅かしかないかを目にしたら、 
そのあまりの惨状のゆえに、
たじろいでしまうことでしょう。

2018年5月18日金曜日

マルティン・ルター「活きるために」「詩篇」103篇2~5節(その1)

私の魂よ、主をほめたたえなさい。
主のすべてのみわざを忘れてはいけません。
主はあなたのすべての罪を赦し、
あなたのすべての病を癒してくださいます。
主はあなたの命を滅びから贖い出し、
恵みと憐れみによってあなたに冠を載せてくださいます。
主は善性によりあなたの一生を満ち足らせてくださいます。
そうして、あなたは鷲のように若返るのです。
(「詩篇」10325節)(その1)


音楽を愛好する人々がすぐれた徳を備えているのは疑いのない事実です。
音楽に感動しない人は木石同然だと私は思います。
音楽は悪魔にとって不快で耐え難いものであることを
私たちは知っているからです。
神学を除けば音楽に匹敵する技能は他にないと私は確信しており、
それを躊躇なくここに表明します。
音楽がなければ神学が孤独にやるはずのことを、
音楽は助けてくれるからです。
音楽は平和と喜びの気分を創出するので、
あらゆる悲しみと不安の生みの親である悪魔は、
神学の言葉から逃げ出すのと同じような素早さで、
音楽の演奏からも逃げ出していきます。
それゆえ、預言者たちは他の何にもまして音楽を用いたのです。
彼らは神学を幾何や算術や天文学の形で表すことができなかったので、
それを音楽に包みこみました。
こうして、彼らは神学と音楽が互いに結びついた形で、
詩篇や賛美歌を通して真理を宣べ伝えることができたのです。

2018年5月9日水曜日

マルティン・ルター「活きるために」「詩篇」108篇2、4~5節(その4)

私の心は用意ができています、神様。
私は歌い、賛美したいのです。
(中略)
主よ、
私は民の中であなたに感謝し、
人々の中であなたを賛美します。
なぜなら、
あなたの恵みは天に及ぶほど大きく、
あなたの真理は雲にまで及ぶ(ほど大きい)からです。
(「詩篇」108245節)(その4)

もしも罪人が自分の罪を自覚していないならば、
神様はその祈りを無視されます。
なぜなら、
そのような罪人は自分で何を祈っているかわかっておらず、
真面目に祈っているわけでもないからです。


口に出す祈りだけではなく、
神様の御言葉によって魂が紡ぎだすことはすべて、
祈りであると言えます。
すなわち、
聴くこと、話すこと、夢想すること、思索することもそうです。

実に多くの「詩篇」は「祈り」として詠われているものです。
とりたてて祈りに関係がないように見える「詩篇」の数節でさえも
(祈りに関わる)何かを教えています。
すなわち、
罪を罰することについて、
また、
神様、自分、人々と共に語り合うことについてです。