2026年5月25日月曜日

「力なき者に力を」「ヨハネによる福音書」9章4節 「夜が来ます」

「夜が来ます」

私たちは私を遣わされた方の行いを昼の間にしなければなりません。

夜が来ます。

すると誰も働けなくなります。

(「ヨハネによる福音書」94節) 

 

太陽が沈む前に仕事をし終えなければならない畑仕事をする人のように、

イエス様は仕事をなさいました。

それは辛い労働でした。

悪魔のわざを無効にし、

全人類を永遠の死からあがない、

全世界の罪を帳消しにしなければならなかったのです。

アダムの時代以来、

このメシア(すなわちキリスト)の到来は待ち望まれ続けてきました。

 

イエス様は神様です。

にもかかわらず、

地上での残された時が短いことを知って苦しみを覚えられました。

また、御自分に託された使命のこの上ない重要性を熟知しておられました。

人となられた神様として、

イエス様は人間的な限界にも束縛されていました。

そして時間の貴重さをよくご存知でした。

夜になると、イエス様もまた仕事を休むほかありませんでした。

イエス様に与えられた時間は定められており、

一瞬たりとも無駄にはできないものでした。

 

イエス様も活動できる時間が限られていることを自覚なさっていたのですから、

私たちもまた時が短いことを知るべきなのではないでしょうか。

天の父なる神様は私たち皆それぞれに

他の人にはできないような使命を与えておられます。

短い人生が終わる前に私たちはそれらをやり遂げなければなりません。

なによりもまず、

イエス様が十字架の死によって私たちのために備えてくださった救いを

急いで受け入れるべきなのです。

 

夜が来れば、恵みや罪の赦しはもう提供されなくなります。

その時には、私たちはもはや誰にも

「見よ、今は神様に受け入れていただける時、見よ、今は救いの日である」

(「コリントの信徒への第二の手紙」62節)とは言えなくなります。

 

(祈り)永遠の神様、

この世に一瞬だけ滞在するにすぎない私たちが

自分たちの短い人生の時を正しく用いることができるように助けてください。

アーメン。

(関連聖句)「ヤコブの手紙」41317

 

2026年5月22日金曜日

「力なき者に力を」「フィリピの信徒への手紙」3章10節より「復活の力」

「復活の力」

キリストとその復活の力とを知るために。

(「フィリピの信徒への手紙」310節より)

 

使徒パウロはイエス様が死者の中から復活したことを完全に確信していました。

また、彼はそれを証する多くの人々を知っていました。

さらに、イエス・キリストは彼の前に個人的に現れてくださいました。

 

この復活の力を彼は何度も繰り返して経験したかったのです。

キリスト信仰者たちを暴力的に迫害していた自分のような者を

使徒にしてくれたこの力について、パウロはよりよく知りたいと望みました。

 

罪人である私たちを神様の御許に導くために

私たちの身代わりとして義なるイエス・キリストが苦しみを受けて死なれた、

と確信することが私たちには許されています。


キリストのあがないの御業は

私たちが救われるために常に十分であり完全なものである、

と私たちは確信してよいのです。


たった一人の死がどうして無数の人々の罪を帳消しにすることができるのか、

という疑いをもつ人々がいますが、気にする必要はありません。 

この世は神様の知恵を理解しないからです。

 

この世とは異なり、

キリスト信仰者である私たちは

イエス様のあがないの御業を心から信じています。

なぜなら、それは神様の御業であり、御言葉だからです。


私たちの罪を帳消しにするためにキリストは死なれました。

私たちを義とするために神様はキリストを復活させました。

これは確かなことです。

それゆえに、私たちは自分が永遠の救いにあずかれることを確信してよいのです。

 

(祈り)

主イエス様、陽のあたらない悲しみの谷を歩む私たちが

あなたの復活の力をより豊かにいただいて、

暗闇のすべての力に勝利することができるように、

どうか私たちを助けてください。アーメン。

(関連聖句)「フィリピの信徒への手紙」3712節、「詩編」111

2026年5月15日金曜日

「力なき者に力を」「ヨハネによる福音書」14章5節 「イエス様は道です」

「イエス様は道です」

トマスはイエス様に言いました、

「主よ、どこへおいでになるのか私たちにはわかりません。

どうしてその道を知ることができるのでしょう」。 

(「ヨハネによる福音書」145節)

 

休暇旅行で見知らぬ道を行く場合には、

道路地図の情報をよく読み取らなければなりません。

遠くまで旅行する場合には、

事前に旅行の計画を練るものです。

 

私たちは皆、この世では旅人であり、異国人です。

目的地、すなわち神様が私たちのために備えてくださった家

通じる道はひとつだけです。

その道とはイエス様です。

「私は道であり、真理であり、命です」

と御自分で言っておられる通りです(「ヨハネによる福音書」146節)。

 

全世界の罪のゆえにゴルゴタで苦しみを受けられたとき、

イエス様はすべての罪人のために神様の御許への道を備えてくださいました。

「イエス様こそが私たちの救い主なのであり、

まさしくその御名と血において私たちには罪の赦しがある」

と信じている私たちは神様の御許に行くことになります。

 

天国に通じる道はこの道だけです。

「私を通してでなければ、誰一人、御父様の御許には行けません」

とイエス様が言っておられる通りです。

このことを私たちは自然におのずから知っているのではありません。

自発的に知りたいと望んでいるのでもありません。

人は救いを人間の教えや自分の行いから探し求めるものだからです。

しかし、聖霊様が私たちを照らしてくださるとき、

私たちは目的地に通じているこの唯一の道を歩むことを望むようになります。

 

神様の御言葉の中には「道路地図」があり「旅行ガイドブック」があります。

すでに洗礼において私たちはキリストに結びつけられています。

永遠の命へと通じるこの新しい活ける道を、

私たちは今、信仰を通して歩むことができるのです。

 

(祈り)天の父なる神様、

あなたは御子イエス様を天の御国への道となさり、

私たちの手をとってこの道へと連れてきてくださいました。

信仰の目的である救いを私たちがいただくために、

どうか私たちを天の御国への道に留まらせてください。アーメン。

(関連聖句)「ヨハネによる福音書」10916

2026年4月24日金曜日

「力なき者に力を」「コリントの信徒への第一の手紙」10章13節より「試練の目的」

「試練の目的」

あなたがたの受けた試錬のうちで人間の尺度を超えるようなものはありません。

神様は真実なお方です。

あなたがたが耐えられないような試錬を受けるようにはなさらないばかりか、

試錬と共に、それに耐えられるように脱出の道も備えてくださいます。

(「コリントの信徒への第一の手紙」1013節より)

 

あるスコットランドの作家は小説の登場人物に

「いっそのこと神様が私をお造りにならなければよかったのに」

という言葉を語らせました。

それに対して、その人の親友は

「あなたはまだ造られてはいません。

あなたはこれから造られるのです。

あなたは造り主に反抗しているのですよ」

と答えました。

 

神様は私たちが罪に躓くのを望まれませんが、

試練を受けることは許しておられます。

このようにして神様は私たちを試し、

それを通じて強めようとなさっているのです。

 

もちろん、キリスト信仰者は試練に自ら飛び込むことはしません。

それは私たちが故意に感染して病気になろうとしないのと同じです。

罪の誘惑に自らすすんで身を委ねるのは危険です。

神様に対して疎遠になっているこの世はキリスト信仰を容認しようとはしません。

私たちはこのような世で生きています。

ですから、この世で生きているかぎり

私たちは罪に落ち込む危険の中にいることになります。

そして、キリスト信仰者は罪の誘惑や危険な場所を避けるものです。

 

罪の誘惑が来たときに、主は恵みと力をくださることを約束してくださいました。

私たちは聖霊様と御言葉を通して、罪の誘惑に耐えて勝利する力をいただけます。

こうして神様は罪の誘惑を試練へと変えてくださるのです。

これは主のよき御旨にかなうことです。

私たちは主のよき御心に確信してよいのです。

約束に基づき、

主は私たちが自分のもてる力を超えて試練を受けるようにはなさいません。

主はそこから脱出する道を備えてくださるのです。

 

(祈り)戦いの中で、信仰の創始者なる主を見上げなさい。

試練の苦しみの中で、イエス様は恵みによって立ち上がらせてくださいます。

(関連聖句)「コリントの信徒への第一の手紙」10613

2026年4月10日金曜日

「力なき者に力を」「テモテへの第二の手紙」3章4節「快楽の危険」

「快楽の危険」 

神様を愛する以上に快楽を愛する者。

(「テモテへの第二の手紙」34節)

 

快楽の虜になるのは身を滅ぼしつつある証拠です。

私たちの時代でもこのことを認識する必要があります。

人々は「快楽の女神」を崇拝し、危険な生きかたに迷い込んでいます。

 

自分の好きなことをいつもやろうとする者は、

まもなくそれにも飽きて退屈してしまいます。

人生は内側から空っぽになり、生きる意義が失われます。

 

人が最も愛する対象がその人の「神」なのです。

私たちは生活や福祉の水準が向上するのをとても重要だと考えます。

それはキリスト信仰者も同じです。

また、明らかに無駄なことや快楽や娯楽のために

自分の時間やお金を費やしています。

それに対して、

私たちはどのくらい自分の力や資金や才能を

神様や御国に仕えるために毎週ごとに割り当てているでしょうか。

 

よい趣味のために時間を使うのは有意義なことです。

しかし、そのせいで

私たちが最も尊いお方から引き離されるようにはならないように注意しましょう。

自分たちの名が天の御国に記されていることこそが、

(キリスト信仰者である)私たちにとっての最も深い喜びであるはずです。

 

私たちは主イエス・キリストがこの世に再臨なさる時を待ち続けるべきですし、

自分たちに用意されている天の御国の相続財産を受け継げるように

心がけていくべきです。

私たちは「自分のもの」ではなく「主のもの」なのです。

まさにそれゆえに「主に喜んでいただきたい」と私たちは望むのです。

 

(祈り)

サタンや世や肉(の欲望)が罪人たちを奴隷にしようとしています。

この世のなれ合いや怒りがあなたの御許から引き離そうとそそのかしています。

主よ、助けてください。

高慢な心を退けることができるように、

どうかあなたの死の苦しみを思い起こさせてください。

アーメン。

(関連聖句)「テモテへの第二の手紙」315

2026年3月27日金曜日

「力なき者に力を」「コヘレトの言葉」12章1節より「若者をイエス様へ」

「若者をイエス様へ」 

悪しき日がまだ来ないうちに、

あなたの若い日にあなたの造り主を覚えなさい。

(「コヘレトの言葉」121節より)

 

神様は他でもなく若者たちこそを御業のために選ばれました。

ヨセフは若くして大変な試練にあいました。

彼はわずか30歳でエジプトの大帝国の首相になり、国を飢饉から救いました。

幼子サムエルは神様から特別な啓示を受けました。

成人した彼はたいへん困難な時期にイスラエルの士師、預言者となりました。

若者ダヴィデは大言壮語を吐く巨人ゴリアテを倒しました。

 

聖書は若い女性たちについても語っています。

もともと異邦の民に属していたルツは心から主の民を愛し、

立派で勇敢な信仰をもっていました。

彼女の子孫の中からは後のイスラエルの王たちやイエス様が誕生しました。

ルツの他にも新約聖書は神様が御業のために用いられた

多くの立派な若い女性たちについて書き記しています。

 

若者たちがイエス様から活きる力を得て

仕事や自己犠牲や苦難に身を捧げる時、

天のお父様の心や天使たちは喜びに満たされます。

若者たちには熱意や勇気やヴィジョンがあります。

若者が主に献身するのは喜ばしく、また感謝すべきことです。

救い主の尊いあがないの血によって若者が清められて

神様の御旨に従うのは人生を大いに豊かにします。

こうすることでサタンの虜や罪の奴隷の人生を送らずにすむようになります。

そして、

自分のもてる力を神様の栄光のために用いることができるようになります。

 

(祈り)イエス様、

あなたにお仕えするために若者たちを献身へと導いてください。

アーメン。

(関連聖句)「テモテへの第一の手紙」6616

2026年2月6日金曜日

「力なき者に力を」「コロサイの信徒への手紙」3章16節「心の歌」

「心の歌」

キリストの御言葉をあなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。

そして、あらゆる知恵をもって互いに教え訓戒し、

詩篇と讃美と霊的な歌によって感謝して心から神をほめたたえなさい。 

(「コロサイの信徒への手紙」316節)

 

全世界の音楽は歌を心に入れることができません。

しかし、キリストの御言葉が豊かに宿るところでは心が歌います。

 

キリスト信仰者の家庭では心が歌っています。

キリストの平和を心で体験した人たちは歌います。

 

神様の恵みは平和を与え、

あらゆる面で愛と喜びと忍耐と優しさと謙遜さと節度とを生み出します。

福音が与えるのは神様の御前で認証される義だけではありません。

福音は私たちを命の義へと導き、

神様の御手から一日一日を受け取る力をも私たちに与えてくれます。

 

それぞれの一日は神様からの賜物であることを知るとき、

心の中に歌が流れます。

そのおかげで、人生の逆風の中でも忍耐を保つことができるようになります。

 

私たちは神様が善き方であることを歌います。

神様は私たちに毎日生きていくために必要なものを与えてくださるからです。

とりわけ神様は御心を明らかにし、

イエス様の尊い贖いの御業のゆえに私たちの罪を赦してくださいます。

 

私たちは小羊の賛美歌を歌うことができます。

イエス様の血の力によって私たちは聖く義なる者とされているからです。

 

(祈り)愛する主よ、

キリストの御言葉が豊かに私たちの中に宿り、

私たちの心が新しい賛美歌を歌えるようにどうか助けてください。

アーメン。

(関連聖句)「使徒言行録」23111