「明るくなっていく夕べ」
夕暮れ時になっても、光があります。
(「ゼカリヤ書」14章7節より)
日が暮れるはずの時刻なのにまだ明るいのは不思議な気がします。
イエス様がこの世にお生まれになった時、
人々は夕べの暗闇の中を歩んでいました。
そのような彼らの上に大いなる光が照り輝き渡ったのです。
「私は世の光です。
私に従って来る者は闇の中を歩くことがなく、
命の光をもつことになります」
(「ヨハネによる福音書」8章12節より)。
キリスト教会を照らす福音の光を再び輝かせるために
神様がマルティン・ルターを御自分の器として選ばれた時にも、
ひたすら暗くなっていく夕暮れが辺りを覆っていました。
永遠の御言葉は今も私たちの只中にあります。
私たちの周りに
キリスト信仰を失ったり拒絶したり
不信仰に留まったりする人々が大勢いる現代でも
それは変わりません。
福音は今日も宣べ伝えられています。
罪人は今日も自分の重荷と共にイエス様の御許に行くことが許されています。
重荷を下ろしていただいた私たちの思いは
今日も神様の平和と喜びに満たされます。
イエス様が十字架で私たちの身代わりに死んでくださったおかげで、
罪人である私たちは恵みにより罪の赦しと命と救いをいただけるのです。
人生の黄昏にさしかかっても、辺りは明るいままです。
私たちが死の陰の中にいても、イエス様は光であり続けます。
イエス様は御業を途中で取り消すようなことはなさいません。
私たちが(死という)人生の最後の戦いの最中にある時にも、
イエス様は私たちを決してお忘れにはなりません。
イエス様は私たちを天の御国の故郷へと連れて行ってくださいます。
天の御国には夜がありません。
そこでは小羊が永遠に太陽であり、光そのものだからです。
(祈り)
主よ、私の道が死の谷へと下っていく時に、
あなたの十字架が私を照らして、
光の道から陰りが消えるようになさってください。
私たちが生きる時も死ぬ時も、どうか私のもとにいてください。
アーメン。
(関連聖句)「詩篇」27篇