「疲れた人々に休息を」
すべて重荷を負うて苦労している人は私のもとに来なさい。
そうすれば、私はあなたがたを休ませてあげます。
(「マタイによる福音書」11章28節)
人間の生活には辛いことがたくさんあるものです。
日々の仕事、病気、失望の数々、貧困などは人生を重苦しいものにします。
それらの中でもとりわけ辛いのは、罪の重荷を背負って生きることです。
「私の不義は私の頭を越え、あたかも重い荷のようで私には重すぎます」
と「詩篇」38篇5節には書いてあります。
咎める心、疾しい良心、神様の怒りと懲罰を恐れる心は
人間にとって大変な重荷であり、
放っておけばその重圧で人は最終的には永遠の死へと沈んでいきます。
しかし今もなお、
イエス様はこのような重労働者や重荷を抱える人のもとに来てくださるのです。
「主はあなたがたのすべての罪の重荷を
私が代わりに担うように私の上に投げかけました。
私はそれらを十字架の木のもとへ我が身で運んで行きました。
そうなのですから、
今、あなたがたは私のもとに来て
あなたがた自身の重荷を投げ出して私の上に置きなさい。
そして、私の血による罪の赦しという贈り物を自分に受け取りなさい」
とイエス様は言っておられるのです。
こうして、罪の呵責は祝福に、呪いは義にかわり、
平和は心を満たすようになります。
なぜなら、
イエス様の十字架のあがないの御業に基づいて
全人類の罪を帳消しにしてくださり、
私たちを愛してくださっている神様が
私たちにはおられるからです。
まさにこれが、
イエス様の御許に来る者全員に、
すなわち「イエス様こそが罪人たちの救い主である」と信じている人々に、
イエス様が約束してくださった休息なのです。
休息を十分にいただいてから、
私たちはイエス様のくびきを肩に載せます。
このくびきは担いやすいものです。
イエス様のくびきは軽いからです。
(祈り)私たちは疲れたときに
重荷を引きずりながらあなたの御許に行くことができること、
そして、あなたは私たちに休息を与えてくださることを、
イエス様、あなたに感謝いたします。
(関連聖句)「ヘブライの信徒への手紙」4章14〜16節