2026年5月15日金曜日

「力なき者に力を」「ヨハネによる福音書」14章5節 「イエス様は道です」

「イエス様は道です」

トマスはイエス様に言いました、

「主よ、どこへおいでになるのか私たちにはわかりません。

どうしてその道を知ることができるのでしょう」。 

(「ヨハネによる福音書」145節)

 

休暇旅行で見知らぬ道を行く場合には、

道路地図の情報をよく読み取らなければなりません。

遠くまで旅行する場合には、

事前に旅行の計画を練るものです。

 

私たちは皆、この世では旅人であり、異国人です。

目的地、すなわち神様が私たちのために備えてくださった家

通じる道はひとつだけです。

その道とはイエス様です。

「私は道であり、真理であり、命です」

と御自分で言っておられる通りです(「ヨハネによる福音書」146節)。

 

全世界の罪のゆえにゴルゴタで苦しみを受けられたとき、

イエス様はすべての罪人のために神様の御許への道を備えてくださいました。

「イエス様こそが私たちの救い主なのであり、

まさしくその御名と血において私たちには罪の赦しがある」

と信じている私たちは神様の御許に行くことになります。

 

天国に通じる道はこの道だけです。

「私を通してでなければ、誰一人、御父様の御許には行けません」

とイエス様が言っておられる通りです。

このことを私たちは自然におのずから知っているのではありません。

自発的に知りたいと望んでいるのでもありません。

人は救いを人間の教えや自分の行いから探し求めるものだからです。

しかし、聖霊様が私たちを照らしてくださるとき、

私たちは目的地に通じているこの唯一の道を歩むことを望むようになります。

 

神様の御言葉の中には「道路地図」があり「旅行ガイドブック」があります。

すでに洗礼において私たちはキリストに結びつけられています。

永遠の命へと通じるこの新しい活ける道を、

私たちは今、信仰を通して歩むことができるのです。

 

(祈り)天の父なる神様、

あなたは御子イエス様を天の御国への道となさり、

私たちの手をとってこの道へと連れてきてくださいました。

信仰の目的である救いを私たちがいただくために、

どうか私たちを天の御国への道に留まらせてください。アーメン。

(関連聖句)「ヨハネによる福音書」10916

2026年4月24日金曜日

「力なき者に力を」「コリントの信徒への第一の手紙」10章13節より「試練の目的」

「試練の目的」

あなたがたの受けた試錬のうちで人間の尺度を超えるようなものはありません。

神様は真実なお方です。

あなたがたが耐えられないような試錬を受けるようにはなさらないばかりか、

試錬と共に、それに耐えられるように脱出の道も備えてくださいます。

(「コリントの信徒への第一の手紙」1013節より)

 

あるスコットランドの作家は小説の登場人物に

「いっそのこと神様が私をお造りにならなければよかったのに」

という言葉を語らせました。

それに対して、その人の親友は

「あなたはまだ造られてはいません。

あなたはこれから造られるのです。

あなたは造り主に反抗しているのですよ」

と答えました。

 

神様は私たちが罪に躓くのを望まれませんが、

試練を受けることは許しておられます。

このようにして神様は私たちを試し、

それを通じて強めようとなさっているのです。

 

もちろん、キリスト信仰者は試練に自ら飛び込むことはしません。

それは私たちが故意に感染して病気になろうとしないのと同じです。

罪の誘惑に自らすすんで身を委ねるのは危険です。

神様に対して疎遠になっているこの世はキリスト信仰を容認しようとはしません。

私たちはこのような世で生きています。

ですから、この世で生きているかぎり

私たちは罪に落ち込む危険の中にいることになります。

そして、キリスト信仰者は罪の誘惑や危険な場所を避けるものです。

 

罪の誘惑が来たときに、主は恵みと力をくださることを約束してくださいました。

私たちは聖霊様と御言葉を通して、罪の誘惑に耐えて勝利する力をいただけます。

こうして神様は罪の誘惑を試練へと変えてくださるのです。

これは主のよき御旨にかなうことです。

私たちは主のよき御心に確信してよいのです。

約束に基づき、

主は私たちが自分のもてる力を超えて試練を受けるようにはなさいません。

主はそこから脱出する道を備えてくださるのです。

 

(祈り)戦いの中で、信仰の創始者なる主を見上げなさい。

試練の苦しみの中で、イエス様は恵みによって立ち上がらせてくださいます。

(関連聖句)「コリントの信徒への第一の手紙」10613

2026年4月10日金曜日

「力なき者に力を」「テモテへの第二の手紙」3章4節「快楽の危険」

「快楽の危険」 

神様を愛する以上に快楽を愛する者。

(「テモテへの第二の手紙」34節)

 

快楽の虜になるのは身を滅ぼしつつある証拠です。

私たちの時代でもこのことを認識する必要があります。

人々は「快楽の女神」を崇拝し、危険な生きかたに迷い込んでいます。

 

自分の好きなことをいつもやろうとする者は、

まもなくそれにも飽きて退屈してしまいます。

人生は内側から空っぽになり、生きる意義が失われます。

 

人が最も愛する対象がその人の「神」なのです。

私たちは生活や福祉の水準が向上するのをとても重要だと考えます。

それはキリスト信仰者も同じです。

また、明らかに無駄なことや快楽や娯楽のために

自分の時間やお金を費やしています。

それに対して、

私たちはどのくらい自分の力や資金や才能を

神様や御国に仕えるために毎週ごとに割り当てているでしょうか。

 

よい趣味のために時間を使うのは有意義なことです。

しかし、そのせいで

私たちが最も尊いお方から引き離されるようにはならないように注意しましょう。

自分たちの名が天の御国に記されていることこそが、

(キリスト信仰者である)私たちにとっての最も深い喜びであるはずです。

 

私たちは主イエス・キリストがこの世に再臨なさる時を待ち続けるべきですし、

自分たちに用意されている天の御国の相続財産を受け継げるように

心がけていくべきです。

私たちは「自分のもの」ではなく「主のもの」なのです。

まさにそれゆえに「主に喜んでいただきたい」と私たちは望むのです。

 

(祈り)

サタンや世や肉(の欲望)が罪人たちを奴隷にしようとしています。

この世のなれ合いや怒りがあなたの御許から引き離そうとそそのかしています。

主よ、助けてください。

高慢な心を退けることができるように、

どうかあなたの死の苦しみを思い起こさせてください。

アーメン。

(関連聖句)「テモテへの第二の手紙」315

2026年3月27日金曜日

「力なき者に力を」「コヘレトの言葉」12章1節より「若者をイエス様へ」

「若者をイエス様へ」 

悪しき日がまだ来ないうちに、

あなたの若い日にあなたの造り主を覚えなさい。

(「コヘレトの言葉」121節より)

 

神様は他でもなく若者たちこそを御業のために選ばれました。

ヨセフは若くして大変な試練にあいました。

彼はわずか30歳でエジプトの大帝国の首相になり、国を飢饉から救いました。

幼子サムエルは神様から特別な啓示を受けました。

成人した彼はたいへん困難な時期にイスラエルの士師、預言者となりました。

若者ダヴィデは大言壮語を吐く巨人ゴリアテを倒しました。

 

聖書は若い女性たちについても語っています。

もともと異邦の民に属していたルツは心から主の民を愛し、

立派で勇敢な信仰をもっていました。

彼女の子孫の中からは後のイスラエルの王たちやイエス様が誕生しました。

ルツの他にも新約聖書は神様が御業のために用いられた

多くの立派な若い女性たちについて書き記しています。

 

若者たちがイエス様から活きる力を得て

仕事や自己犠牲や苦難に身を捧げる時、

天のお父様の心や天使たちは喜びに満たされます。

若者たちには熱意や勇気やヴィジョンがあります。

若者が主に献身するのは喜ばしく、また感謝すべきことです。

救い主の尊いあがないの血によって若者が清められて

神様の御旨に従うのは人生を大いに豊かにします。

こうすることでサタンの虜や罪の奴隷の人生を送らずにすむようになります。

そして、

自分のもてる力を神様の栄光のために用いることができるようになります。

 

(祈り)イエス様、

あなたにお仕えするために若者たちを献身へと導いてください。

アーメン。

(関連聖句)「テモテへの第一の手紙」6616

2026年2月6日金曜日

「力なき者に力を」「コロサイの信徒への手紙」3章16節「心の歌」

「心の歌」

キリストの御言葉をあなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。

そして、あらゆる知恵をもって互いに教え訓戒し、

詩篇と讃美と霊的な歌によって感謝して心から神をほめたたえなさい。 

(「コロサイの信徒への手紙」316節)

 

全世界の音楽は歌を心に入れることができません。

しかし、キリストの御言葉が豊かに宿るところでは心が歌います。

 

キリスト信仰者の家庭では心が歌っています。

キリストの平和を心で体験した人たちは歌います。

 

神様の恵みは平和を与え、

あらゆる面で愛と喜びと忍耐と優しさと謙遜さと節度とを生み出します。

福音が与えるのは神様の御前で認証される義だけではありません。

福音は私たちを命の義へと導き、

神様の御手から一日一日を受け取る力をも私たちに与えてくれます。

 

それぞれの一日は神様からの賜物であることを知るとき、

心の中に歌が流れます。

そのおかげで、人生の逆風の中でも忍耐を保つことができるようになります。

 

私たちは神様が善き方であることを歌います。

神様は私たちに毎日生きていくために必要なものを与えてくださるからです。

とりわけ神様は御心を明らかにし、

イエス様の尊い贖いの御業のゆえに私たちの罪を赦してくださいます。

 

私たちは小羊の賛美歌を歌うことができます。

イエス様の血の力によって私たちは聖く義なる者とされているからです。

 

(祈り)愛する主よ、

キリストの御言葉が豊かに私たちの中に宿り、

私たちの心が新しい賛美歌を歌えるようにどうか助けてください。

アーメン。

(関連聖句)「使徒言行録」23111

2026年1月29日木曜日

「力なき者に力を」「創世記」29章2節より「活きた水」

「活きた水」

彼(ヤコブ)が見ると、なんと野に井戸があったではありませんか。

(「創世記」292節より)

 

清涼な水のありがたみを知っているのは喉が渇いている者だけです。

ハランへの旅路で疲れ果て喉が渇いていたヤコブは井戸を見つけ、

その水を飲んで元気を取り戻すことができました。

 

清涼な水を感謝するべきです。

それがいつでも手に入るとは限らないからです。

しかし、このような水と比べて、

主の教会で神様の純粋な御言葉から湧き出る「活ける水」のほうを

私たちはより深く感謝するべきなのです。

信仰によってイエス様に避け所を求めるとき、

イエス様は「命の水」をくださいます。

それはイエス様の御名と血における罪の赦しです。

 

私たちキリスト信仰者には、

聖なる洗礼と主の聖餐を通して、

この活ける水、命と救いの水が分配されます。

 

「あなたがたは喜びをもって救いの井戸から水を汲みます」

(「イザヤ書」123節)。

 

「さあ、渇いている者は皆、水のもとに来なさい」

(「イザヤ書」551節より)。

 

「御霊も花嫁も言いました、「来なさい」。

また、聴く者も「来なさい」と言いなさい。

渇いている者はここに来なさい。

命の水を欲する者は価なしにそれを受け取りなさい」

(「ヨハネの黙示録」2217節)。

 

泉から水が湧き出る井戸だけが「よい井戸」なのです。

その井戸からは新鮮な水がなくなることがありません。

神様の恵みとはまさにそういうものです。

 

(祈り)聖霊様、

私を命の水の新鮮な泉へのもとへ連れて行ってください。

私の魂の焼け付くような渇きを癒す水を

私がいつも飲めるように助けてください。

明快に溌剌と私が渇いている人たちを皆、

この水のもとに招くことができるようにどうか助けてください。

アーメン。

(関連聖句)「創世記」2914

2026年1月19日月曜日

「力なき者に力を」「ヨハネによる福音書」6章20節より 「嵐が静まる」

「嵐が静まる」

私です。恐れることはありません。

(「ヨハネによる福音書」620節より)

 

弟子たちが嵐の只中にいた時にイエス様は来てくださいました。

ところが、彼らはイエス様が水の上を歩いて近づいてくるのを見て

恐ろしくなり、叫びました。

その時、彼らは聞き慣れた声が「私です」と話しかけるのを聴きました。

恐怖は消え、嵐は止みました。

そして彼らは岸へと着きました。

 

イエス様を信じる人たちは今でもこのようなことを経験しています。

嵐が人生を脅かしています。

自分であがいてみてもどうにもなりません。

希望も消え失せます。

治療が難しい病気、身近な人の死、

気が滅入り窮乏する無職の状態などは

この困難な航海の一例です。

このようにキリスト信仰者は試練に直面します。

 

嵐の夜に、イエス様はやって来られます。

さまざまな試練を通して、主は

「私です。恐れることはありません」

と言ってくださいます。

私たちはその時に嵐が神様からのものであったことを理解します。

イエス様が共にいてくださることは

私たちの良心の呵責を鎮め、

私たちに罪の赦しによる平和をもたらします。

 

私たちは主の御声を聴きます。

人生でのいかなる嵐のような出来事も

決して偶然に起こるのではありません。

そこには主がおられます。

私を愛し御自分を私のためにささげてくださったお方が。

 

私たちが救い主に頼る大切さを学ぶために

苦しみは与えられるのです。

イエス様が「私のもの」になってくださっているのですから、

私は滅びはしません。

 

(祈り)嵐の夜に、

私(イエス様)はあなたのところに来て船に乗り込みます。

どよめく風を再び鎮めます。

私は天国の港へと船の舵を取ります。

私ははじめであり、おわりなのです。

(関連聖句)「ヨハネによる福音書」61521