2013年2月28日木曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 神様からいただいた職(コリントの信徒への第一の手紙7章17節)(その4)



神様からいただいた職
(「コリントの信徒への第一の手紙」717節)(その4)

 
 
もしもパンを持っていたとしても、
そのために「自分は大丈夫だ」などとは思い込まないようにしなさい。
しかし、パンがない場合でも、
そのために希望をなくすようなことがあってはなりません。
むしろ、パンがある時にはそれを用い、
パンがない時にはそれなしで済ませるようにしましょう。
パンがあってもなくても、
ちゃんと生きていけることに確信を持ってよいのですから。
このような信仰によって、お腹と生計の心配事に打ち勝つことができます。
  
  
自分の理解と力の及ぶ限りのことを行いなさい。
できることをすべてやったその後で、
私たちの主なる神様にすべてをゆだねましょう。
神様が働きかけ、支えを配り、成功へと導いてくださるように、願い求めなさい。
自分自身のわざや知恵に頼らないようにしなさい。
  
  
めいめいが神様から与えられた仕事や立場に留まるのは、
本当に神様にお仕えすることです。
たとえ与えられている使命がどれほどささやかなものであったとしてもです。
  
  
キリスト信仰者には皆、「真に霊的な祭司」の仕事が与えられています。
彼らが相互に異なっている点は、
神様が彼ら一人一人に(御言葉に基づいて)お与えになっている
「職務」の多様さに由来しています。
 

2013年2月25日月曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 神様からいただいた職(コリントの信徒への第一の手紙7章17節)(その3)


 神様からいただいた職
(「コリントの信徒への第一の手紙」717節)(その3)
 
 
あなたは仕事をしなければなりません。
しかし、生計を立てたり家族を養うことは神様のお仕事です。
それゆえ、あなたは仕事と生計というこれらふたつのこと
互いにはっきりと分けなければなりません。
ちょうど、天と地、神様と人が
互いにまったく分け隔てられているのと同じように。
  
  
「キリスト信仰者が飢え死にする」などということは
誰も見たことも聞いたこともありません。
たしかにキリスト信仰者は
迫害を受けますし、投獄されますし、
殺される人たちが何人もいます。
しかし、御言葉を信じている時、
キリスト信仰者は皆、
食べ物を見つけることができましたし、生計も立ちました。
主キリストは客人に
パンや魚を食べ物として、
水を飲み物として与えてくださいます。
イエス様は、
贅沢に暮らしているお金持ちとはちがって、
何十種類もの料理や多種多様なお酒を
ごちそうしたりはなさいませんけれども。
自分が飢えないで体を健康に保てることの他に、
あなたが望むべきことがあるでしょうか。
  
  
からだがちゃんと仕事をし、「目覚めている」ようにしなさい。
「古い人」が悪い行いに駆り立てられずに、落ち着いた生活をし、
御霊に従うようにするためです。

2013年2月15日金曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 神様からいただいた職 (コリントの信徒への第一の手紙7章17節)(その2)


 
神様からいただいた職
(「コリントの信徒への第一の手紙」717節)(その2)

  
 
人が仕立て屋か靴屋か、農民か市民か、また貴賎の出自か、
などと問いただす必要などありません。
その人がキリストを信じており、
神様を畏れる心を持っていて、
隣り人に仕えているなら、
その人はいわば「活ける聖人」であり、
一番大切な戒めをしっかり守っており、
なしうる限り最善で最高のことを行っているからです。
  
  
農民の仕事は喜ばしく希望にあふれています。
なぜなら、
実った穂を収穫したり、畑を耕したり、
苗を植えたり、刈り取りをしたり、
脱穀したり、木を伐採したりする仕事には、
とりわけ大きな希望が秘められているからです。
  
  
キリストのあがないのみわざを、
人間のわざなど他の一切のものから
混じりけなく清潔に保つなら、
あなたは自分で好きなだけ厳しい生活を送ってもよいし、
ありとあらゆる善行をしてもよいし、
神様からいただいた職務を忠実に果たしたり、
神様の御言葉が私たちに命じているすべてのことをしてよいのです。
そのようなわざは、
「真の泉」から、すなわち、
神様への愛と神様の戒めに従おうとする偽りのない意志とから
流れ出ています。
自分のわざは、
自分の罪を帳消しにするためにではなく、
神様の栄光と隣り人の益のためになされる時には、
神様にとって喜ばしいものなのです。
 

2013年2月13日水曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 神様からいただいた職(コリントの信徒への第一の手紙7章17節)(その1)


 
神様からいただいた職
(「コリントの信徒への第一の手紙」717節)(その1)
  
   
悲嘆することは、私たちには許されていません。
しかし、働くことは、事情が違います。
逆に私たちには、
額に汗してパンを手に入れる、という義務が課せられています。
神様は、私たちが心配して気をもむのを禁じています。
なぜなら、
私たちには富裕な神様がいて、私たちが必要なものを御存知で、
私たちがあれこれ心配して祈り求めるよりも前に、
服や生活費などを与えてくださるからです。
どうして神様は、私たちが働かない場合には、
これらのものを与えてくださらないのでしょうか。
私たちが働くことを、神様は喜ばれ、また命じておられるからです。
そして神様は、
私たちの仕事のゆえではなく、御自身の善性と恵みのゆえに、
私たちが必要としているものをくださるのです。
  
  
鳥が飛ぶために生まれたのと同じように、人は働くために生まれました。
  
  
神様には、罪以外のものはすべて喜ばしいものです。
あなたが罪ではない何かを行っている場合、
その仕事はきっと神様の許しを得ています。
ただし、その仕事においても正しく振舞うように気をつけなさい。
やる気がなく嫌気がさしている時には、
まさにこの事実こそが、
神様に喜ばれる仕事をしている確かな証拠である、と思いなさい。
そのような時に、神様は、
あなたの信仰がぐらつくかどうか、悪魔が試みることを許可なさると同時に、
あなたの信仰が戦って成長する機会を設けられたのです。
このような神様が、本当にあなたと共にいてくださいます。
  

2013年2月11日月曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 神様のスケジュール(その2)


  
神様のスケジュール(その2)
 

 
ヘブライ人の男の子たちを一人残らず殺そうとしたファラオは、
自分の娘の膝元で
ヘブライ人の赤子モーセを養育しなければならなくなりました。
こういったことに気づく人は誰もいません。
なぜなら、神様は、なさろうとしていることを、
すぐに公にはせず、誰にも明かさず、
しばらくの間は隠しておかれるからです。
それについては、
誰も気づかないので、誰も注意を払いません。
神様は物事を不思議なやり方で運ばれるので、
それがすっかり整うまでは、
それについて誰一人知らないままです。
   
  
神様に対して、
目的を指示し、時期と量を設定し、
どのような助けがほしいか提案さえする人たちがいます。
彼らは、
自分の思い通りに事が運ばないと、
神様への信頼をなくし、
どこか他から助けをさがすようになります。
このような人々は、待ち望む、ということを知りません。
彼らは主を待ち望んではいないのです。
彼らの考えでは、
神様こそ彼らを待つべきなのだし、
神様はいつでも準備ができていて、
彼らが思い描いているやり方によってのみ
助けをさしのべなければなりません。
しかし、
主を待ち望む人は、恵みを祈り求めるものです。
そのような人たちは、
いつ、どのように、どこで、何を通して、神様が彼らを助けてくださるか、
神様の善き御心にすっかりお任せしています。
彼らは、必ず神様から助けをいただけることを疑いません。
その助けが、
どれほど長く果てしなく先に引き延ばされたとしても、
彼らは神様にそのことを完全に委ねます。
  

2013年2月8日金曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 神様のスケジュール(その1)


 
神様のスケジュール(その1)
  
 
この地上で王や貴族や知者が神様の「時計」の針をセットするのを、
神様はお許しにはなりません。
それをなさるのは神様御自身だからです。
今何時か、私たちが神様に教えることはできません。
神様がそれを私たちに告げたいと思われているからです。
  
  
約束なさったことを、神様はちゃんと実行なさいます。
しかし、神様からの助けが速やかに来なかったり、
約束が人間には理解しがたい不思議なやり方で実現したりするために、
神様が約束を果たされる時期や方法は、
しばしば私たちの予想をはるかに超えます。
  
  
神様の御言葉にしっかり留まって、
御心にしたがって助けと時期と方法と道を待ち望むことは、
必要不可欠です。
なぜなら、神様は
「正しい時に助けてくださる主」という名前をお持ちだからです。
  
  
神様のみわざは、この世では次のように行われます。
みわざが行われる前には、誰ひとり信じる者がなく、
みわざが行われると、今度は誰ひとり気にも留めません。
不信仰が先頭に立ち、忘却が後に続きます。

2013年2月6日水曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 苦しみについて感謝することができますか?



苦しみについて感謝することができますか?
  

人間にとって、
苦難の中にいる者に慰めと助けを約束されている
キリストのゆえに苦しむことは、
慰めも助けも知らぬまま疑いにとらわれて滅ぶように仕向ける
悪魔のために苦しむよりも、
千倍もよいことです。
  
  
神様の御言葉が説教され、
それを信じて受け入れるところや、
信仰の実がなるところでは、どこであれ、
「愛する聖なる十字架」が欠けることはありません。
ですから、
「自分には平和がある」、などと思い込まないように気をつけなさい。
私たちは皆、
この地上で自分が持っているすべてのもの、すなわち、
財産、名誉、家や土地、妻や夫、子どもたち、身体と霊を
危険にさらしていくほかないのです。
  
  
物事がうまく運んでいる時に神様に寄り頼むのは、
いともたやすいことです。
しかし、十字架の下にいる時に、
つまり神様から懲らしめを受けている時に、
私たちがそれを父親からの躾とみなして、
神様に「愛する神様」と言えるのは、
鍛錬の賜物であり、至高の恵みです。
  
  
神様はわが子を、
召使いよりもはるかに頻繁に懲らしめ打たれます。
その一方で、神様はわが子に、
所有なさっている物を相続財産としてまとめてくださいます。
言いつけに従わない悪い召使いを、
神様は鞭で打ったりはせず、
何の相続財産も与えないまま、家のドアの外に追い出します。
  
  
嘆き悲しんでいる時には、
勇気を持ち、力を奮い起こさなければなりません。

2013年2月4日月曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 あらゆる状況において感謝しなさい!(その3)


あらゆる状況において感謝しなさい!(その3)
 
 
もしも神様が年に一度だけ太陽を昇らせるなら、
その時には感謝と喜びの祝会が催されることでしょう。
ところが、太陽は毎日昇るので、
人はそれを感謝すべきだとは考えもしません。
私たちが
自分に欠けているものについて嘆くことを減らして、
自分がもっているものについてもっと感謝するように
なれたらよいのですが。
そうすれば、私たちの生活はもっと光に満ちたものになるでしょう。
 
 
主よ、私たちがあなたに崇敬と感謝の念を示すためには、
自分自身を叱咤して恥じ入らせる以外に方法はありません。
あなたに知恵と義を帰するためには、
私たちがそれらを自分自身には帰さずに、
逆に、
自分には罪と愚かさのみを帰する以外にはありません。
あなたが私の口を自由にしてくださる時に、
私はそのような感謝と栄光を、
あなたのために周りの人たちに伝えていかなければなりません。
なぜなら、
神様から派遣されていない者が、
神様が語っておられないところで、
この教えを宣べ伝えたり、神様に感謝したりするのは無理だからです。
 
 
世の中には、
神様からあらゆるよいものを受け取っておきながら、
逆に、神様に対しては
その報酬として感謝に欠けた心や侮蔑を返してばかりいる者たちが
群れを成しています。