2014年8月29日金曜日

「ルターの祈りの本」 本当の罪の自覚について(その2)



本当の罪の自覚について(その2)

主よ、ごらんください。
本当に、私はあなたの御前で罪人です。
私の生まれも育ちも性格もすべてひっくるめて罪です。
言葉や行いや考えも、それらが形作る生活も、
罪であるのは言うまでもありません。

私は悪い木です。
生まれながらに「怒りと罪の子」です。
この生来のものが私たちの中に留まるかぎり、私たちは罪人です。

そして、「私たちの罪を赦してください」と言わなければなりません。
このように私は、
あなたが言われていることが本当であると告白します。

主なる神様、私は悪いことを行う者です。
神様の戒めに反する罪を行う者です。
私を助け出してください。
さもなければ、私は滅んでしまいます。

2014年8月25日月曜日

「ルターの祈りの本」 本当の罪の自覚について(その1)


本当の罪の自覚について(その1)



愛する主なる神様、
私には、
自分が今までしてきた罪や、
今もまだ行っている罪を列挙することはできません。
その大部分を私は忘れてしまったし、
今行っている罪のことも気がつかないでいるからです。

私の中や、私の力の範囲内にある、
「恵みの外部にある物事」は、
その一切が罪であり、呪いの下にあります。

ですから、
自分自身や、自分の行いや力のことを考えるときに、
私はすっかり希望を失い、
あなたの憐れみを求めて、
祈りのため息をつくことしかできなくなります。

恵みと信仰が私に対して影響を及ぼしてくれる限りにおいては、
このような私でも、キリストのゆえに、
「キリスト信仰者」と呼ばれてもよい人間になっている、
とは言えましょう。
ところが、いったん恵みと信仰がなくなってしまえば、
私自身の中には真に善いものなどは何も残っていない、
という事実を私は知っていますし、それをここに告白します。

これは「毛糸玉の芯」のようなものです。
たとえどれほど長く努力を続けようとも、この状況は変わりません。
あなたの恵みにも神様としての力にも頼らずに、
私が話したり考えたり行ったり生きたりするとき、
そこには善いことは何もありません。

たとえ私にすべての修道者の聖さがあったとしても、それは変わりません。
あなたが、貧しい罪人に対して、
全く純粋な恵みから、喜んで、
私たちのすべての罪の赦しを与えてくださる、ということが、
あなたの御前で、私の慰めであり誇りなのです。

2014年8月20日水曜日

「ルターの祈りの本」 私たちが心をかたくなにしたり、 罪に落ち込んだりしないように、 お守りください。


私たちが心をかたくなにしたり、
罪に落ち込んだりしないように、
お守りください。



厳粛なる裁き主よ。
あなたの裁きは、いかに秘められしもの、いかに恐るべきものでしょうか。

ファラオは、紅海に沈む事態に至るまでは、
自信に満ち溢れ、何も心配せずに暮らしていました。
ファラオは、
自分が罪を悔い改めなかったために神様の正当かつ厳粛な怒りにふれたのだ、
ということをついに理解しませんでした。

神様、あなたは、
御自分の貴い御言葉が汚されるのをじっと黙って見過ごしはなさいません。

たしかに、あなたは、この御言葉のために、
あなたの最愛の子どもたちが血を流す事態になることさえも
お許しになりました。

しかも、人々は、御言葉が呪われ迫害を受けるときに、
ただ座ったり笑ったり微笑んだりしているばかりです。

しかし、天のお父様、あなたの裁きは正義です。
もしも最後の裁きが人々のこのふざけた態度に
終止符を打つことにならないならば、
あなたはとうに御言葉を取り去って、
私たち皆を霊的に目が見えない頑なな者になさったことでしょう。
それを考えるだけでもぞっとします。

このことについて、私が心の中で苦しみ悲しんでいることを、
あなたは証してくださることでしょう。
最後の裁きの日が到来するまでの間は、
私たちはそのような最悪の事態には陥らずにすみます。

天の父なる神様、
私たちが罪を行わなければならなくなる場合があるかもしれません。
それはあなたの御旨ではないにせよ、
あなたがそうなることを許された結果ではあります。

しかし、そういった罪の行為の結果として
私たちが頑なな不信仰者にならないように、
どうかお守りください。

あなたが罪の勝利者とし、無垢の主となさった、
あの方(キリスト)の御許で、あの方のうちにありながら、
私たちがあの方を否定したり見失ったりすることがないように、
どうかお守りください。

あなたがそうしてくだされば、
いかなる罪も、いかなる死も、いかなる地獄も、
私たちに対しては何の手出しもできなくなるからです。

アーメン。