本当の罪の自覚について(その1)
愛する主なる神様、
私には、
自分が今までしてきた罪や、
今もまだ行っている罪を列挙することはできません。
その大部分を私は忘れてしまったし、
今行っている罪のことも気がつかないでいるからです。
私の中や、私の力の範囲内にある、
「恵みの外部にある物事」は、
その一切が罪であり、呪いの下にあります。
ですから、
自分自身や、自分の行いや力のことを考えるときに、
私はすっかり希望を失い、
あなたの憐れみを求めて、
祈りのため息をつくことしかできなくなります。
恵みと信仰が私に対して影響を及ぼしてくれる限りにおいては、
このような私でも、キリストのゆえに、
「キリスト信仰者」と呼ばれてもよい人間になっている、
とは言えましょう。
ところが、いったん恵みと信仰がなくなってしまえば、
私自身の中には真に善いものなどは何も残っていない、
という事実を私は知っていますし、それをここに告白します。
これは「毛糸玉の芯」のようなものです。
たとえどれほど長く努力を続けようとも、この状況は変わりません。
あなたの恵みにも神様としての力にも頼らずに、
私が話したり考えたり行ったり生きたりするとき、
そこには善いことは何もありません。
たとえ私にすべての修道者の聖さがあったとしても、それは変わりません。
あなたが、貧しい罪人に対して、
全く純粋な恵みから、喜んで、
私たちのすべての罪の赦しを与えてくださる、ということが、
あなたの御前で、私の慰めであり誇りなのです。