十字架のみが示す天国への道(その2)
福音を受け入れ、十字架につけられたキリストを信じ、
キリストとその御言葉を否定するくらいなら
むしろ自分のすべての持ち物ばかりか自分の命さえも
差し出そうとする人たちが、今でもなお大勢います。
これは、実に偉大な奇跡です。
しかし、この世で起きた最大の奇跡は、
神様の御子が十字架で恥辱の死を遂げられたことです。
たとえ王やビショップや金持ちや学者が
皆キリストを捨て去るとしても、
神様は、
御自分について世に信仰告白する御霊をいただく「小さな群れ」を
守りたい、と思われています。
神様はキリストへの信仰や信仰告白が消えることを望まれません。
もしも弟子たちが主への信仰を告白しようとしないなら、
悪いことを行った者たちが前に出て、
「主がどのようなお方か、
主がいかにして人間に慰めを与えてくださるか」、
について他の人々に教えなければならなくなります。
罪との戦いや自分の十字架なしには、
キリストを正しく知るようにはなれないことを、
クリスチャンは皆わきまえるべきです。
たとえ苦しみや十字架は、
それらにもとづいて救われたり、
何か御褒美をもらったりするために、
私たちに与えられているわけではないにせよ、
私たちは、キリストと似た者となるために、
キリストのように苦しまなければならないのです。