2012年8月24日金曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 神様の隠された知恵(コロサイの信徒への手紙2章3節)(その2)


 
神様の隠された知恵 
「コロサイの信徒への手紙」23節のルターの説明(その2)

  
  
「どのように主は私たちを引き下げ、また引き上げてくださるか」、
また、「すべて主の御言葉の通りになる」、ということを、
主は私たちに多くの実例を通して示されました。
それは、
私たちが自分の知恵によっては何も行わず、
すべてを主にゆだねるようになるためです。
何事も私たちの考えや計画通りにはならないことを、
私たちは皆、生活の中で経験し知っているはずです。
  
  
主は、私たちを豊かで強く義しい者としようとなさるときに、
良心が咎める、貧しく見捨てられた罪人になさいます。
それはまるで、
あらゆる点で主の与えてくださった約束が消えうせてしまった
かのようです。
このような主のやり方を理解する者は、さいわいです!
  
  
神様の御言葉は二通りの異なったやり方で用いられます。
まず第一に、それは一般的に公けに用いられます。
例えば、神様をないがしろにする者たちでさえ、
御言葉を聞いたり読んだりします。
しかし、これは「殻」にすぎません。
彼らには「殻の中身」がないのです。
その中身とは、キリストの御受難がもたらした恵みと実と益のことです。
キリストの御受難のもたらす益については、彼らは何も知りません。
なぜでしょうか?
それは、彼らは自分が罪人だということを認めたくないからです。
彼らは、キリストの御受難について
口先ではまことしやかに語ることができるのに、
それをちっとも理解していないのは、そのためです。
キリストは罪人のためだけに苦しまれたのです。
もしも彼らに、
「キリストはあなたのためにも苦しまれたのです。
つまり、あなたも罪人なのですよ」、と言っても、
彼らはそれを受け入れません。