十字架のみが示す天国への道(その1)
十字架につけられたキリストを学びなさい。
キリストに感謝して歌うことを学びなさい。
自分自身にはすっかり失望して、
「主イエス様、あなたは私の義です。でも、私はあなたの罪です」、
とキリストに言うことを学びなさい。
キリストとその十字架のみを知り考え聴くために、
自分の心を抑制し集中させることができるなら、
それはすばらしい技術です。
しかし、それを習得し実行に移すのは、いつであっても困難なことです。
なぜなら、悪魔は、
私たちをキリストから引き離して間違った道に引きずり込もうと、
あらゆる手段を尽くして攻めてくるからです。
「祝福された十字架よ、
どの木であれ、あなたに匹敵するような木は他にありません」、
と喜んで言えるとき、
十字架はもはや十字架ではありません。
キリストがおられるところには、また、
イエス様や、ピラトや、ヘロデや、カヤパや、アンナスもいるはずですし、
主の十字架も共にあるはずです。
もしもそうでなければ、
彼は本当のキリストではありません。
この地上での最高の知恵とは、
「弱いキリスト」につまずかないことです。
この知恵をいただいた者はごく少数です。
キリストが誰の目にも見えるように奇跡を行い、
力強く前に進んで行かれるときに、
キリストを知ることを学ぶのは、たやすいことです。
しかし、
十字架にかかり墓に横たわる「弱いキリスト」を
知るようになるためには、偉大な知恵が必要です。
この知恵をもっていない者は、つまずくほかありません。