2020年2月26日水曜日

「力なき者に力を」「ペテロの第一の手紙」5章8、9節より「悪魔に対抗しなさい」

「悪魔に対抗しなさい」

あなたがたの敵である悪魔がほえたけるライオンのように
食べ尽くすものを求めてうろついている。
信仰に堅く立ってこの悪魔に抵抗しなさい。
(「ペテロの第一の手紙」589節より)

試みがなくなることはありません。
仕事の時、休みの時、
家や町で、路上や教会で、
また会話や祈りの中で
私たちは試みにあいます。
罪が待ち構えており、敵はわなを仕掛けてきます。

試みを避けるために逃げ腰の生活をすることはいけません。
しかしその一方で、
故意に試みに身をゆだねるのも危険です。
谷底に落ちないでどれだけ崖の淵まで行けるか試すのは
実に愚かで無謀な態度です。

試みにあった時には
この重圧に耐えるかそれとも抵抗を避けて流されるままになるか
が問われます。
まったく躓かないほど強い人はいません。
しかしその一方では、
イエス様が立ち上がらせることができないほど弱い人もいないのです。

神様の力に助けを求めても耐えられないような大きな試みに
神様が私たちをあわせることはありません。
あらゆる試みを受けつつもすべてに勝利したイエス様は
どのような試みの中でも私たちを助けることができます。

「悪魔に立ち向かいなさい。
そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去るでしょう。
神様に近づきなさい。
そうすれば、神様はあなたがたに近づいてくださるでしょう。」
(「ヤコブの手紙」478節より)と聖書に書かれている通りです。

とりわけ危険な試みは
(信仰が)眠り込んだり、不信仰になったり、絶望したりすることです。

「信仰の盾を手に取りなさい。
それをもって、悪しき者の燃える矢を全部消すことができるでしょう。」
(「エフェソの信徒への手紙」616節)

(祈り)主よ、私たちを試みにあわせず、
悪より救い出してください。アーメン。
(関連聖句)「エフェソの信徒への手紙」61017節  

2020年2月19日水曜日

「力なき者に力を」「フィリピの信徒への手紙」1章9節「信仰の中での成長」

「信仰の中での成長」

私はこう祈ります。
あなたがたの愛が知識とあらゆる感覚において
いっそう増し加わっていきますように。
(「フィリピの信徒への手紙」19節)

多くの信仰者は信仰的な成長が途中で止まってしまいます。
彼らの霊的な信仰生活にはなんらの進歩も見られません。
こうして信仰が枯れ果てていくのです。

使徒はこう言います、
「私たちの主であり救い主である
イエス・キリストの恵みと知識とにおいて成長しなさい」
(「ペテロの第二の手紙」318節より)。
この成長は「大人」となるためのものです。

「私たち全員が
神様の御子を信じる信仰の一致と御子を知る知識の一致とに到達し、
大人となり、ついにはキリストの完全な成人性にまで至るためです。 
わたしたちはもはや子どもではないので、
悪巧みによって欺瞞の策略へと陥れる、
人々の「サイコロ遊び」のような多様な教えの風によって
吹きまわされ翻弄されたりせずに、 
愛にあって真理に従い、
かしらなるキリストへとあらゆる点において成長していくのです」
(「エフェソの信徒への手紙」41315節)。
 
この成長は、
神様の御言葉を深く学び、正しく理解し、
御言葉の健全な教えによって(信仰が)強められていくことです。
御言葉の学び手として、主に自らを捧げた者として、
キリスト信仰者は恵みを必要とし、
またそれを自分のものとして
しっかり受け入れることを通して成長していきます。
それとともに、キリスト信仰者は
危険をよりよく察知し、神様の召しをよりよく理解し、
よりしっかりと救い主へ避けどころを求めるようになります。
 
自分の中でキリストが大きくなり、
自分自身はだんだん小さくなっていくときに、
キリスト信仰者は成長していきます。

洗礼、聖餐、神様の御言葉と恵みの中で、
キリスト信仰者は成長していくことができます。

(祈り)聖霊様、信仰と愛においてキリストの僕となれるように
私たちをキリストの恵みと知識の中で成長させてください。アーメン。
(関連聖句)「フィリピの信徒への手紙」1311

2020年2月12日水曜日

「力なき者に力を」「コロサイの信徒への手紙」1章17、18節より「第一位」

「第一位」

イエス様は万物よりも先に存在しておられ、
万物はイエス様に在って成立しています。
(中略)
それは、御自身がすべてのことにおいて第一位となるためです。
(「コロサイの信徒への手紙」11718節より)

あるときアメリカ合衆国で数十人の著名な人物が
人類の歴史の中で最も大切だと思う出来事を百項目列挙するように
アンケートを依頼されたことがありました。
彼らの答えの中で上位を占めたのは、
アメリカ大陸の発見、印刷術やその他多くの人類の発明などでした。
イエス・キリストの十字架の死は他のいくつかの出来事と並んで第14位でした。

このアンケート調査ではイエス様が第14位になってしまったということです。
しかし、多くの人の生活の中では
イエス様はこれよりも低い順位になっているのが実情です。
私たちの生活の中ではどうでしょうか。
聖書によれば、イエス様はすべてにおいて第一位のお方です。
イエス様は万物よりも先に存在していたお方です。
イエス様は死者の中からよみがえられた最初のお方です。
イエス様は罪と死に勝利した唯一のお方であり、
罪深い私たちの唯一の救い主です。

イエス様だけが死んでいる者を活きた者とし、
目の見えない者を目が見えるようにし、
神様の敵を神様の友としてくださいます。
イエス様だけが律法の裁きを取り除き、
変わらぬ平和と希望、また永遠の命を与えてくださいます。

心や仕事や趣味や力を注ぐ対象として、
また隣り人や家族や時間やお金に関して、
私たちはイエス様をいったい何番目ぐらいに置いて生活しているのでしょうか。
はたしてイエス様がすべてにおいて第一位になっているでしょうか。

(祈り)愛する主イエス様、あなたが私たちにとって
すべてにおいて本当に第一位となるように、
どうか私たちの心を占拠してください。アーメン。
(関連聖句)「ローマの信徒への手紙」1479

(訳者註 この本は1965年にまとめられたものです。)

2020年2月7日金曜日

「力なき者に力を」「マタイによる福音書」26章50節より「裏切り者」

「裏切り者」

友よ、何のためにここに来たのですか。
(「マタイによる福音書」2650節より)

ダンテは「神曲」という本の中で
イスカリオテのユダのことを地獄でも皆に見捨てられた存在として描いています。
なぜなら、ユダはイエス様を裏切った者だからです。

主イエス様のおかげで人間という罪深い存在が
天の御国に入れていただけるというのに、
天の祖国と主イエス様のことを裏切った人が
今までどれほどたくさんいることでしょうか。

この世の祖国の裏切り者の例としては、
法律を破る者、他人を虐げる者、不信を増長する者、
人種同士や社会階層間の憎悪を煽る者、
また、祖国の繁栄と平和とを危険にさらす者などを挙げることができます。

それに対して、天の祖国の裏切り者とは、
福音を隠れ蓑にして普段は利益を追求しているくせに、
いざ主のために行動しなければならない時が来ると
こっそり隅に退いてしまう者のことです。

(語るべき時に)沈黙することによって、この裏切り者は
世の人々と一緒に(主を)軽蔑し侮辱するグループの側につくことになります。

洗礼、福音、聖餐、礼拝で説教する職務、教会での交わり、
そしてキリスト信仰者にとって聖なる尊いすべてのものを
捨て去った人々についてはいったい何と言えばよいでしょうか。

イエス様に口づけすることで
イスカリオテのユダが非情な裏切りの仕上げをしたとき、
イエス様は「友よ、何のためにここに来たのですか」と
愛をもって優しく彼に警告しました。

イエス様は裏切り者たちのことをも愛しておられます。
そして、彼らを御自分の恵みの中に迎え入れることを望んでおられます。
それゆえ、イエス様は人が裏切り者の暗路に迷い込もうとするときに
「友よ、何のためにここに来たのですか」と警告なさるのです。

(祈り)イエス様、私があなたに対して
終わりまで忠実であるようになさってください。アーメン。
(関連聖句)「ルカによる福音書」2216