2020年10月30日金曜日

「力なき者に力を」「イザヤ書」42章3節より「葦と灯心」

「葦と灯心」

傷ついた葦を折ることもなく、
ほのぐらい灯心を消すこともありません。

(「イザヤ書」423節より)

 

これは弱々しい人々に同情する神様の憐れみの心を描いています。

「傷ついた葦」という言葉ほど的確に

人間のみすぼらしさを表す言葉が他にあるでしょうか。

「ほのぐらい灯心」という言葉ほど正確に

人間の頼りなさを示す言葉が他にあるでしょうか。


しかし、あなたは私たちの救い主の愛を見つめなさい。

この方は傷ついた葦を折ることもなく、

ほのぐらい灯心を消すこともありません。

主は葦を整え、灯心から燃えかすを取り除いてくださいます。

イエス様は罪を赦してくださいます。

主は傷口に包帯を巻いて癒してくださいます。

主は臆病な者を勇気付け、弱い者を強めてくださいます。

 

ひどい呪いの言葉をはいて「私は救い主を知らない」と言ったあの夜に、

ペテロはいかに「ひどく傷ついた葦」であったことでしょうか。

皆が皆ゲッセマネで恐れをなし主を捨てて逃げ去ったあの夜、

弟子たちはいかに「暗い灯心」であったことでしょうか。

それでも、イエス様はペテロをくじいたり、

弱い弟子たちのほのぐらい信仰のともし火を消したりはなさいませんでした。

 

傷ついた良心や、悲しみに痛んだ心や、泥に塗れた人生を、

救い主は踏みにじることはなさいません。

主はその血によって私たちの良心をきよめ、恵みによって心の傷を癒されます。

主は疲れた者を元気付け、弱い者を強めてくださいます。

私たちがどのような存在か、主はよくご存知です。

 

(祈り)主よ、信仰が消え入りそうです。

恵みの朝が訪れるように火を点してください。

あなたの御霊はほのぐらい灯心に新たな火をくださいますから。

アーメン。

(関連聖句)「エゼキエル書」41416

2020年10月21日水曜日

「力なき者に力を」「詩篇」2篇4節「主は彼らを笑われる」

「主は彼らを笑われる」

天に座する方はお笑いになり、
主は彼らをあざけられるでしょう。 

(「詩篇」24節)

 

主はあざける者をあざけられます。

あざけ笑う人々に対して、天に座するお方である主はお笑いになります。

 

主を拒む異教的なこの世は、

たとえどれほど怒り狂ったところで、

神様と御子とその教会を滅ぼすことはできません。

そのような試みは常に失敗に終わってきました。

教会の初期の時代の迫害はその実例です。

ローマ帝国はキリスト教を滅ぼそうとして躍起になりました。

しかし、今でも世界の多くの場所には十字架が高く立っています。

 

キリスト教大迫害の先鋒に立ったローマ皇帝ディオクレティアヌスは、

イエス様の御名がもう決して口にされることがなくなるまで

キリスト教を徹底的に叩き潰すと決意しました。

ところが、彼の大帝国はとうの昔に滅亡しました。

その一方で、今に至るまで

キリストの御国は世界のすみずみにまで拡大し続けてきています。

 

ローマ皇帝ユリアヌスは以前信仰していたキリスト教を捨てた後で、

今度は国家の威信にかけてキリスト教を根絶しようとしました。

しかし、戦いに敗れ致命傷を受けた彼は

「ガリラヤ人よ、お前の勝ちだ」と言うほかありませんでした。

 

今もなお十字架は立ち続けています。

 

あらゆる学問、研究、芸術などの影響や成果が、

また、錚々たる国家の一群の威信とそれが所有している殺戮兵器とが、

キリストとキリスト教会とを攻撃しようとして照準を合わせる場合であっても、

教会の十字架は立ち続けます。

聖書の約束する通り、地獄の門もそれに勝利することはできないからです

(「マタイによる福音書」1618節)。

 

(祈り)主イエス様、

私がおわりまでしっかりと立ち続けることができるように、

これまでひっそりと存続してきた真のキリスト教会がもっている忍耐を

どうか私にも分け与えてください。アーメン。

(関連聖句)「詩篇」2

2020年10月9日金曜日

「力なき者に力を」「ルカによる福音書」5章7節より「仕事仲間」

「仕事仲間」

彼らは別の舟にいた仲間に助けに来るよう合図をしました。

(「ルカによる福音書」57節より)

 

漁師たちが仲間同士で協力して仕事をする様がここに描かれています。

それには大きな意味がありました。

 

ペテロの舟の上から岸にいる群衆に話しかけられた後、

イエス様は舟をさらに沖に出して網を放つようにお命じになりました。

弟子たちがその通りにしたところ、

おびただしい魚が入ってきて網が破れそうになりました。

 

この大漁はイエス様の行われた奇跡でした。

御自分に従ってきたゲネサレ湖の漁師たちに

イエス様は魚を取って集めるようにお命じになりました。

舟に乗っていた彼らは皆協力し合い、とれた魚は両方の舟を一杯にしました。

これが仲間と一緒に仕事をするということです。

 

神様の御国の仕事では、

同じ信仰と信条によって活かされている者同士が

一致協力して働くことが必要不可欠です。

もしも協力し合う仕事仲間がいなければ、

とれるはずのたくさんの魚も逃してしまいます。

この仕事では争いや嫉妬や自己中心さや私益の追求は禁物であり、

神様の御言葉への忠実さが必要とされます。

 

とれた魚はイエス様が与えてくださった祝福です。

心を一つにして福音の教えを信じ、

御言葉の網によって(人間という)魚をとる伝道の仕事を

皆で力を合わせて行っていこうではありませんか。

そうするときに、

イエス様は共におられてたくさんの魚をとれるように祝福を与えてくださいます。

主の御言葉はむなしく主の御許に戻ることがありません

(「イザヤ書」5511節より)。

必要なのは御言葉への忠実さとよい仕事仲間です。

 

(祈り)イエス様、あなたなしでは私たちは何もできません。

あなたを通してのみ、私たちはすべてを行うことができます。

どうか私たちが心を一つに合わせて

あなたと共に仕事に打ち込めるように助けてください。

アーメン。

(関連聖句)「ルカによる福音書」517

2020年10月2日金曜日

「力なき者に力を」「ヨハネの黙示録」21章6節より「はじめとおわり」

「はじめとおわり」

 

私はアルファでありオメガ、はじめでありおわりです。 

(「ヨハネの黙示録」216節より)

 

ギリシア語のアルファベット表で

アルファは最初の文字、オメガは最後の文字です。

もしもイエス様が日本語を話されたのなら

「私は「あ」であり「ん」である」と言われたのではないでしょうか。

イエス様は始める方でもあり終わらせる方でもあります。

 

イエス様は神様が造られた世界の「はじめ」です。

イエス様の中でこの世界は始まりました。

またイエス様は万物を維持しておられます。

そして、いつかこの世に戻って来られて、それを終わらせるのです。

 

死と復活によってイエス様は、

人間には始めることも付け加えることも不可能な

まったく新しいことを創造なさいました。

イエス様は義なる神様と罪人なる人の間に和解をもたらしました。


イエス様は罪とされ、

そのかわりに、

本来罪を担うべきである者がイエス様のゆえに義と宣言されました。


イエス様は呪いとされ、

そのかわりに、

本来呪われた存在である者が祝福を受けることになりました。


死なないはずの方が死んで、

そのかわりに、

死を宣告された者に永遠の命が賜物として差し出されるようになりました。

 

イエス様は御霊を通して私たちを新たに創造され、

私たちの心に信仰の火をともしてくださいました。


イエス様のあふれるほど豊かな恵みにより、

私たちには罪の赦しの平和と救いの喜びがあります。


以前遠くにいた私たちは

今やキリストの血を通して近くにくることができました。


死んでいた私たちは今では活きており、

イエス様の苦難にあずかり復活の力を受けることができるのです。

 

「私たちは神様の作品であって、

神様があらかじめ備えてくださったよい行いをするように、

キリスト・イエスにあって造られました。

それは、それらよい行いの中を私たちが歩んでいくためです」

(「エフェソの信徒への手紙」210節)。

 

(祈り) 始める方であり終わらせる方である主イエス様、

私の中で始めてくださったあなたのよい行いを

どうか最後まで仕上げてください。アーメン。

(関連聖句)「ヨハネの黙示録」2117