2017年12月11日月曜日

マルティン・ルター「活きるために」「フィリピの信徒への手紙」2章5~8節(その1)

 キリスト・イエスの心と同じ心を
あなたがたも持ちなさい。
キリストは
神様のかたちの中にありながらも、
神様と等しいものであることに固執せず、
御自分を空しくして、
奴隷のかたちをとられました。
(中略)
キリストは
御自分をへりくだらせて、
死にいたるまで、
十字架の死にいたるまで従順であられました。
(「フィリピの信徒への手紙」258節)(その1)
  
キリストは
救いの堅固な基であり、
御自分を信じる者たち皆にとって無敵の岩です。


キリストは、
私たちの義であり、
救いであり、
幸福であり、
永遠の救いです。

キリストは、
私たちのために、
御自分のみわざによって、
天の御国を確保してくださいました。

罪で苦しむ時、
死を目前にして怯える時、
地獄への恐怖にとりつかれる時、
どこに庇護を求めればよいか、
私は当然知っています。

これらのものすべてに対抗できるお方が、
私にはおられるからです。

それは、私の主キリストです。
キリストを通して、
私の罪は帳消しにされています。

私がキリストを信じる時、
死は滅ぼされ、追い払われ、
地獄の門は壊され、
悪魔は叩きのめされています。

2017年11月30日木曜日

マルティン・ルター「活きるために」「ヨハネの第一の手紙」4章8~9節より(その3)

神様は愛であられます。
愛のうちに留まる者は、神様のうちに留まり、
神様はその人のうちに留まってくださいます。
神様がその独り子を世に遣わして、
この御子を通して私たちを活きるようになさったところに、
神様の愛が私たちに明らかに示されています。
(「ヨハネの第一の手紙」489節より)(その3)
 
人間の理性や本性は、
神様が全能であることを把握できません。
それゆえ、私たちは
神様の御心や本性などを興味本位で探究するべきではないのです。
神様は私たちに御言葉を与えて、
私たちが神様について知っておくべきこと、
守るべきこと、信じるべきこと、
神様から期待するべきことなどを、
きわめて明瞭に啓示しておられます。
御言葉を自分の指針とするかぎり、
私たちが道に迷うことはありえません。


神様はこの世を統治する機関を実に不思議なやり方で導かれます。
たとえば、
悪魔や死に遭遇したと私たちが思い込んでしまうような場所においてこそ、
神様は私たちの最も近くにいてくださる、
というようなやり方によってです。

2017年11月24日金曜日

マルティン・ルター「活きるために」「ヨハネの第一の手紙」4章8~9節より(その2)

神様は愛であられます。
愛のうちに留まる者は、神様のうちに留まり、
神様はその人のうちに留まってくださいます。
神様がその独り子を世に遣わして、
この御子を通して私たちを活きるようになさったところに、
神様の愛が私たちに明らかに示されています。
(「ヨハネの第一の手紙」489節より)(その2)

神様は愛です。

神様の本質は愛に他なりません。
もしも誰かが神様の本質をついた絵を描きたいなら、
その人は、
神様の本質が火の入ったオーブンや
天地を満たす激しい愛として描写された、
愛のあふれる絵を仕上げなければなりません。


「神は愛なり」とはどういう意味か、
次のようなことを通して見ていくことができます。
目を開きさえすれば、
誰であれ否応なくそれらを見るし理解することになります。
神様の賜物は、日々どこに目を向けてもあなたの眼前にあるからです。
太陽と月や、光に満ちた天空があり、
地一面には木や草、穀物や様々な植物が生えています。
それらはあなたに食べ物として備えられ与えられたものです。

同様に、
父や母、家や財産があり、
この世の統治機関を通して平和と安全が与えられています。

これらすべてに加えて、
神様はあなたのために愛する御子を賜り、
あなたを福音の力によって
あらゆる悲惨と困苦の中から天の我が家へと導いてくださいます。

神様には、
あなたのために行うべきことがまだ何か他にもあるのでしょうか。
これよりもさらによいことを、
あなたは神様にお願いすることができましょうか。

2017年11月16日木曜日

マルティン・ルター「活きるために」「ヨハネの第一の手紙」4章8~9節より(その1)

神様は愛であられます。
愛のうちに留まる者は、神様のうちに留まり、
神様はその人のうちに留まってくださいます。
神様がその独り子を世に遣わして、
この御子を通して私たちを活きるようになさったところに、
神様の愛が私たちに明らかに示されています。
(「ヨハネの第一の手紙」489節より)(その1)
 
神様を、
どこかから閉め出すことも、
どこかへ閉じ込めることもできません。
神様は、
万物の上に、万物の外に、また万物の中に、おられます。
神様の御前においては、
万象は無であり、無は万象なのです。 


神様は、
どんな片隅においても、
あらゆる被造物においても、
全きお方です。
神様はあなたの前にも後ろにもおられます。
神様が天国のベッドで眠りこんでいるとでも、
あなたは思っているのですか。
神様は見張り、あなたを守り、世話してくださっているのです。


神様を
永遠であり、全能であり、
測り知れず、終わりのないお方として
イメージするとき、
そこから次の二つのことが帰結します。
すなわち、神様は、
御自分を畏れる人々を永遠に保護なさり、
彼らの住まいとなり、
彼らに好意を示してくださる一方で、
(神様を)侮る不遜な人々には、
測り知れず終わりのない激怒を示される、
ということです。
なぜなら、
創造主としての神様の本質は、
その行為としてもあらわれるからです。