2020年9月25日金曜日

「力なき者に力を」「テモテへの第二の手紙」3章16節 「聖書」

「聖書」  

聖書はすべて神様の御霊の息の吹きかけによって生まれたものであり、

人を教え、戒め、正し、義へと訓育するのに有益です。

(「テモテへの第二の手紙」316節) 

 

聖書に出てくる奇跡は作り話であると主張する人たちがいます。

聖書には矛盾があると指摘する人たちもいます。

聖書は歴史的な真実や学問の要求水準を満たしていないと考える人は大勢います。

 

イエス様は常に聖書を拠り所となさいました。

それによってイエス様は「試みる者」(悪魔のこと)に勝利し、

敵対者の口を封じました。

またイエス様は

「このように言うことで、

モーセやすべての預言者からはじめて聖書全体にわたり

御自身について記してある事柄を彼ら(二人の弟子たち)に説き明かされました」

(「ルカによる福音書」2427節)。

 

洗礼を受けておりキリストを信じる者として、

私たちも聖書全体が神様の御言葉であることを信仰告白します。

聖書のすべての言葉は神様の御霊の息の吹きかけによって生まれました。

れらは変ることのない命の永遠の言葉です。


律法は私たちに私たち自身の罪を自覚させるように働きかけ、

福音はそのような私たちに罪を赦してくださるイエス様への信仰を

生み出すように働きかけます。

神様の御言葉全体の骨格をなしている律法と福音は

私たちを義へと訓育するのに有益なものです。

「あなたの御言葉は我が足のともしび、我が道の光です」

(「詩篇」119105節)。

独り子の犠牲の死を通して

(罪深い存在である)私たち人間と和解してくださった憐れみ深い神様を、

私たちは御言葉の光を通して見ることができます。

この言葉を「自分のもの」として大切にする人はさいわいです。

 

(祈り)主よ、あなたの口が語ってくださった証に私が従えるように、

どうかあなたの恵みによって私を元気付けてください。アーメン。

(関連聖句)「ヨシュア記」83035

2020年9月18日金曜日

「力なき者に力を」「創世記」45章24節「喧嘩してはいけません」

「喧嘩してはいけません」

こうして彼(ヨセフ)は兄弟たちを送り出し、

「旅の途中で喧嘩してはいけません」と彼らに言いました。 

(「創世記」4524節)

 

ヨセフはエジプトで兄弟たちに自分の正体を明かした際に、

彼らの家族と年老いた父ヤコブを飢饉から救い出して

エジプトに連れてくるようにと彼らをヤコブのもとに送り出しました。

旅の途中で喧嘩などしないようにとヨセフは兄弟たちを諭しましたが、

もちろんそれには理由がありました。

 

兄弟たちが互いに喧嘩し合うことになる原因としては、

例えば彼らが以前ヨセフを見捨てたときに彼らのうちのいったい誰が

そのような過酷な仕打ちを煽ったかということだったかもしれません。

自分自身の罪深さを告白するのはとても難しいものです。

ともすると私たちは自分の罪を他の人のせいにしがちであり、

そこから争いが起こるのです。

しかし、聖書は人間皆が一様に区別なく罪を犯したことを教えています。

もしもこのことを皆が告白するならば、

家庭での喧嘩も、友達や親戚との間の諍いも、

怒りや復讐心を撒き散らすこともたちまち収まることでしょう。

 

この世では

争いや怒りや復讐や流血に至るような事件でさえもしばしば起こります。

しかし、主は御自分に属する人々に 

「道中、喧嘩しないようにしなさい」と言っておられます。

使徒パウロは

「あなたがたは、もしもあなたがたの側からそうできる場合には、

すべての人と平和に過ごしなさい」

(「ローマの信徒への手紙」1218節)と奨励しています。

キリストは平和を築いてくださいました。

もしも私たちが平和に生活して互いに赦しあう場合には、

心には神様の平和が保たれます。

 

(祈り)私たちの罪を赦してくださる神様、

どうか私たちに他の人を赦し平和を愛する心をお与えください。

私たちが激しく怒ったり、人を責めたり、復讐心を燃やしたりしなくなるように、

イエス様を通してお祈りいたします。アーメン。

(関連聖句)「創世記」13

2020年9月11日金曜日

「力なき者に力を」「使徒言行録」9章1~2節 「唯一の道」

「唯一の道」

さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し殺害すべく息巻き、

大祭司のもとに行って、

ダマスコの諸会堂(シナゴーグ)宛ての添書を求めました。

それは、この道の者を見つけしだい男女かまわず捕縛して

エルサレムに連行するためでした。

(「使徒言行録」912節)

 

イエス様の弟子たちは(シリアの)アンティオキアで

「キリスト教徒」(ギリシア語の単数形は「クリースティアーノス」)

という名で呼ばれるようになりました。

彼らは「その道の」あるいは「この道の」旅人である、

と「使徒言行録」では5回も記されています。


天の御国への道はいくつも存在するのではなく、たった一つだけです。


「私は道であり、真理であり、命です。

私を通してでなければ誰も父の御許に行くことはできません」

(「ヨハネによる福音書」146節より)とイエス様が言っておられる通りです。

 

「異なる道を通るにせよ、結局はどの宗教でも天国に行ける」

とサタンは人々に信じこませようとしています。

しかし、神様の御言葉は 

「この方による以外に救いはありません。

私たちが救われるようにする御名は、

この天の下ではこの方の他には人間には与えられていないからです」

(「使徒言行録」412節)と断言しています。


イエス様への信仰を通して、私たちはこの道に入れていただけるのです。

信仰に留まることによって、私たちはこの道を歩んでいきます。

終わりまでしっかりと信仰によって耐え抜くとき、

私たちはこの道の終点である天の御国における永遠の命へと辿り着きます。

 

キリストを信じるとき、私たちは天の御国への道を歩んでいます。

ですから、

キリストの血は私たちの罪のために流されたという信仰を通して、

私たちがキリストの中にいることを(神様から)いつも認めていただけるように、

私たちは霊的な戦いを続けていくのです。

私たちは天の御国への旅人として

あらゆる点で神様に喜んでいただけるように励みます。

 

(祈り)主よ、永遠の命へと導く唯一の道から

私が右にも左にもさまよい出てしまうことがないようにお守りください。

終わりまでこの道に留まることができるように聖霊様の恵みをお与えください。

アーメン。

(関連聖句)「イザヤ書」35

2020年9月4日金曜日

「力なき者に力を」「ヘブライの信徒への手紙」3章13節「キリスト信仰者同士の励まし合い」

「キリスト信仰者同士の励まし合い」

あなたがたの中に罪に惑わされてかたくなになる者がないように

「今日」といううちに、日々、互いに励まし合いなさい。 

(「ヘブライの信徒への手紙」313節)

 

たんなる好奇心から他の人の事情に干渉したり、

厳しい言葉で他の人を叱ったりするべきではありません。

むしろ隣り人がキリストに留まることができるように助けなさい、

と使徒は励ましています。

 

罪は私たちにまとわりつき、私たちの歩みを遅くします。

罪は人を欺きます。

信仰の兄弟姉妹たちがこのことに気が付くように私は助けなければなりません。

隣り人と同様に私自身もこうした助けを必要としています。

そして、隣り人もまた私を助けてくれるように私は祈ってよいのです。

 

このような励ましは他の人の弱点を突くことではありません。

人のあら捜しをするべきではありません。

励ましは話し合いであり、

信仰を告白することであり、

霊的なことがらについて語ることです。

そのとき私たちは

聖霊様が私たちを信仰によって慰めて強めてくださることを経験します。

 

不信仰のうちに生きている人々に対して私たちは主について証するべきです。

ところが、信仰者は

信仰に関わることがらについて互いに励まし合う大切さを

忘れてしまうことがしばしばあります。

イエス様への賛美となるような付き合い方を

私たちは互いにしていくべきなのです。

 

私たちの集まりを神様が御言葉の光によって照らしてくださるとき、

私たちは祝福をいただきます。

互いをよりよく理解して尊敬し合うことを私たちは学びます。

御言葉を通して神様が約束されたことへの信頼も強められていきます。

救いについての知識を互いに分け合うことを通して、

私たちは救いをより深く知るようになります。

   

(祈り)主よ、あなたへ感謝を公けに口にするために、

どうか私の唇を開いてください。アーメン。  

(関連聖句)「ヘブライの信徒への手紙」102325