「聖書」
聖書はすべて神様の御霊の息の吹きかけによって生まれたものであり、
人を教え、戒め、正し、義へと訓育するのに有益です。
(「テモテへの第二の手紙」3章16節)
聖書に出てくる奇跡は作り話であると主張する人たちがいます。
聖書には矛盾があると指摘する人たちもいます。
聖書は歴史的な真実や学問の要求水準を満たしていないと考える人は大勢います。
イエス様は常に聖書を拠り所となさいました。
それによってイエス様は「試みる者」(悪魔のこと)に勝利し、
敵対者の口を封じました。
またイエス様は
「このように言うことで、
モーセやすべての預言者からはじめて聖書全体にわたり
御自身について記してある事柄を彼ら(二人の弟子たち)に説き明かされました」
(「ルカによる福音書」24章27節)。
洗礼を受けておりキリストを信じる者として、
私たちも聖書全体が神様の御言葉であることを信仰告白します。
聖書のすべての言葉は神様の御霊の息の吹きかけによって生まれました。
それらは変ることのない命の永遠の言葉です。
律法は私たちに私たち自身の罪を自覚させるように働きかけ、
福音はそのような私たちに罪を赦してくださるイエス様への信仰を
生み出すように働きかけます。
神様の御言葉全体の骨格をなしている律法と福音は
私たちを義へと訓育するのに有益なものです。
「あなたの御言葉は我が足のともしび、我が道の光です」
(「詩篇」119篇105節)。
独り子の犠牲の死を通して
(罪深い存在である)私たち人間と和解してくださった憐れみ深い神様を、
私たちは御言葉の光を通して見ることができます。
この言葉を「自分のもの」として大切にする人はさいわいです。
(祈り)主よ、あなたの口が語ってくださった証に私が従えるように、
どうかあなたの恵みによって私を元気付けてください。アーメン。
(関連聖句)「ヨシュア記」8章30~35節