魂と神様の対話(その8)
誰か次のように言う人がいるかも知れません、
「私の祈りは聴かれた、ということを、
私が信じることができない場合には、どうなるのでしょうか」。
それに対する答えはこうです、
「汚れた霊に苦しめられた息子の父親のように行いなさい」
(「マルコによる福音書」9章14節以下に関連)。
キリストが彼に言われたのは、
「もしも信じることができるならば、
「信じる者にはすべてが可能だ」、
と自分に言いきかせなさい」、
ということでした。
そのとき、その子の父親は(おそらくは目に涙を浮かべて)、
「主よ、私は信じます。
私の信仰を助けてください。
それはあまりにも弱いからです」、
という意味のことを叫んだのでした
(「マルコによる福音書」9章24節に関連)。
父なる神様、
私が祈ったことがらが本当に実現することを、
私は疑いません。
それは、私がそうなるように祈ったからではありません。
そうではなく、
あなたがそれらについて祈るように命じ、
また、それらを与えてくださると確かに約束してくださったからです。
神様、
あなたは真実な方であり、偽りを言われることはありえません。
そのように私は確信しています。
私の祈り自体に価値があるからではありません。
あなたの真理の正しさのゆえに、
私は堅く信じる力が与えられて、
疑いが全く消えるのです。
これに基づいて、
私は「アーメン」と言えるのだし、
文字通り「アーメン」が実現します。
すなわち、
「まことに、そのようになる」のです。