2019年1月25日金曜日

「力なき者に力を」「ローマの信徒への手紙」1章14節「パウロ」

「パウロ」

ギリシア人にもギリシア人ではない民に対しても、
知恵のある者にも無い者に対しても、
私には果たすべき責務があります。
(「ローマの信徒への手紙」114節)

使徒パウロは、キリストにおける救いを心から理解するとすぐに
「すべての人々に対して自分には果たすべき責務がある」
と思うようになりました。
そして、宣教の旅を通じて、彼はこの責務を果たしていきました。
彼はすべて造られた者に対して福音を宣べ伝えていったのです。

パウロの時代以来、多くの人が
「神様も希望もなしにこの世で生きているすべての人に対して
自分には果たすべき責務がある」と感じてきました。
彼らの中には、たとえば、
アフリカで宣教師・研究者として活躍したデイヴィッド・リヴィングストーンや、
インドで宣教師として働き聖書を翻訳したウィリアム・ケーリーなど、
多くの人がいます。

私たちにもまた、ユダヤ人に対しても、ユダヤ人以外の人に対しても、
果たすべき責務があります。
私たちは彼らにキリストの福音をもたらさなければなりません。
福音は私たちのためだけに与えられているものではないからです。
この宝は世界中に広められていくべきものなのです。

あらゆる機会を利用してキリストについて語り、
宣教活動のために祈ることによって、
私たちは自分に与えられた責務を果たしていくことになります。
また、全世界に対する私たちの責務を果たすために
「家や友達や快適な生活を捨てる」という犠牲を払いつつ、
キリストを知らない人々のいる国へと宣教師として旅立った人々を
祈りや献金によって豊かに援助することを通しても、
私たちは自分の責務を果たしていくことになります。

(祈り)イエス様、
あなたが私たちの大きな罪の負債を代わりに払ってくださったことを感謝します。
私たちが喜んで世に対して自分の責務を果たしていけるように、
どうかお助けください。
あなたが備えてくださった罪の赦しをすべての人に伝えることができるように、
どうか私たちをお助けください。アーメン。
(関連聖句)「コリントの信徒への第一の手紙」91623

2019年1月18日金曜日

「力なき者に力を」「ヨハネによる福音書」1章42節「アンデレ」

「アンデレ」

そして、アンデレはペテロをイエス様の御許に連れて行きました。
(「ヨハネによる福音書」142節)

アンデレは、人々の心をイエス様に向けさせるために熱心に働きました。
彼は個人的に周りの人々に伝道していたのです。
メシア(すなわちキリスト)を見出した彼は、
その喜びを自分の兄弟シモン・ペテロと分かち合わずにはいられませんでした。
それで、彼は兄弟をイエス様の御許に連れて行ったのです。

福音書には、
ペテロについての記述はたくさんありますが、
アンデレについての記述はあまり見当たりません。
しかし、自分なりの地味なやり方ではあれ、
アンデレは熱心に伝道していたのです。
彼は人々を、そうっとイエス様の御許に導いていきました。

アンデレのやったことは、キリスト信仰者なら誰でもできることです。

この世の最後の日に(天の)書物が開かれると、
そこには普通の信仰者の名前が連なっています。
この世で生きている間に彼らは著名な人々ではありませんでしたが、
アンデレのように、周囲の人たちをイエス様の御許に連れて行ったのです。

その日その日の出来事、天候、政治経済などについて
周りの人々と話し合うのは簡単にできます。
しかしその際に、
私たちの方から話題を救いに関わる問題に向けることがあるでしょうか。

人間はそのまま放置されるなら永遠の滅びに落ち込んでいく存在であること、
また、
イエス様がそれほどまでに罪深い人間たち全員の救い主であることについて、
私たちは周りにいる人に話しているでしょうか。

あなたが天国に入った時に
「私がここに入れたのはもちろん神様のおかげですが、
神様を別として私に最も影響を与えてくれたのはあなたでした」
と言って手を差し伸べてくる人々があなたには何人いるでしょうか。

ある時、皮膚の黒い若者が目に涙を浮かべながら職場の上司の棺の傍らに立って
「この人が私をイエス様の御許に連れて来てくれたのです」と言ったそうです。
一個人として地道に伝道を続けていた
キリスト信仰者の麗しい証がここにあります!

(祈り)主イエス様、どうか私のことも、
人々の心をあなたに向けさせる仕事をする「人間をとる漁師」としてください。
(関連聖句)「ヨハネによる福音書」13542

2019年1月14日月曜日

「力なき者に力を」「ヨハネの第一の手紙」4章19節より「ヨハネ」

「ヨハネ」

私たちは(神様を)愛しています。
なぜなら、この方(神様)がはじめに私たちを愛してくださったからです。
(「ヨハネの第一の手紙」419節より)

ヨハネは「愛の使徒」と呼ばれています。
主が聖餐を設定なさった時に、ヨハネはイエス様の胸に寄りかかっていました
(「ヨハネによる福音書」1325節)。
十字架に磔にされた時、
イエス様はこの弟子に御自分の母の世話を委ねられました。

「イエス様の愛」について話すことは、
ヨハネにとってはじめから当たり前のことであったわけではありません。
彼は自分がイエス様から愛されているという体験を通して、
このことを周りの人々にも語るようになっていったのです。
遥か昔からずっと罪に堕落したままの人類全体を愛するようにして、
イエス様はヨハネを愛されました。
この神の愛のゆえに、
イエス様は全人類の罪のために十字架の死へと赴かれたのです。
「自分の命をその友たちのために捨てることほど大きな愛は誰にもありません」
(「ヨハネによる福音書」1513節)。
イエス様はその命を敵のために捨てられたのです。
「キリストは、私たちがまだ罪人だった時に
私たちのために死んでくださいました。
このようにして、神様は私たちへの愛を示してくださったのです」
(「ローマの信徒への手紙」58節)。

救い主の愛はヨハネの心に主の愛に応答する愛を生み出しました。
救い主の愛は、
信仰を通して主に属する者となっている神様の子どもたち一人一人のうちにも、
ヨハネと同じ主への愛を生み出します。
聖霊様が与えてくださったこの愛は、私たちのことも、
イエス様を愛するように、
また私たちのために死んで復活されたこの方のために生きていくように
させます。
こうして、イエス様の血だらけの傷によって癒されたキリスト信仰者は
イエス様にお仕えしていくのです。

(祈り)愛するイエス様、信仰と愛を私にお与えください。アーメン。
(関連聖句)「ヨハネによる福音書」151117

2019年1月9日水曜日

「力なき者に力を」「マタイによる福音書」16章16節より「ペテロ」

「ペテロ」
 
あなたはキリスト、活ける神様の御子です。
(「マタイによる福音書」1616節より)
 
ここにはペテロのその場で思ったことを口にする
無邪気な性格がよくでています。
しかしその一方では、
こういった突然の行動をとる性格のせいで、
彼は幾度も後悔することにもなりました。

ペテロは「イエス様に属する者」でした。
イエス様の弟子になったとき、ペテロは一切を捨てました。
彼は主を燃えるように愛していました。
いずれ自分がイエス様を知らないと人前で言うことになろうとは、
このときのペテロには思いもよらなかったことでしょう。
ところが、後になって彼は
「イエス様を知らない」と三度も公言してしまいます。
そして、ペテロは後悔の涙とともに
自らのひどい罪を悔い改めることになりました。

同じペテロがこの箇所では
「あなたはキリスト、活きておられる神様の御子です」
と夢中になって告白しているのです。
この勇気ある信仰告白と臆病な信仰否認とのなす鮮やかな対照はどうでしょう!

人はすべての質問に答える必要がありません。
しかし、イエス様がペテロや他の弟子たちになさった質問には
私たちは答えないわけにはいきません。
この答え如何でこの世と永遠の世界での処遇が決まってしまうほど
大切な質問だからです。
心で信じつつ、私たちは
「あなたはキリスト、活きておられる神様の御子です」と告白します。

神様であり人であるイエス・キリストは、
私たちを罪と死と悪魔の支配からあがないだしてくださいました。
救いは他のどこにもありません。
聖なる生活と苦しい死と、復活によって、
イエス様は私たちのために全き永遠の幸いなる救いを用意してくださいました。
これは賜物です。
私たちはこの恵みを信仰によって「自分のもの」とすることができます。
全聖徒と共に私たちは
「私は信じます、それゆえ、私は語ります」と言い切るのです。

(祈り)
主よ、言葉と生き方によってあなたへの信仰を大胆に告白していけるように、
どうか私に信仰を増し加えてください。アーメン。
(関連聖句)「ルカによる福音書」91822