「ヨハネ」
私たちは(神様を)愛しています。
なぜなら、この方(神様)がはじめに私たちを愛してくださったからです。
(「ヨハネの第一の手紙」4章19節より)
ヨハネは「愛の使徒」と呼ばれています。
主が聖餐を設定なさった時に、ヨハネはイエス様の胸に寄りかかっていました
(「ヨハネによる福音書」13章25節)。
十字架に磔にされた時、
イエス様はこの弟子に御自分の母の世話を委ねられました。
「イエス様の愛」について話すことは、
ヨハネにとってはじめから当たり前のことであったわけではありません。
彼は自分がイエス様から愛されているという体験を通して、
このことを周りの人々にも語るようになっていったのです。
遥か昔からずっと罪に堕落したままの人類全体を愛するようにして、
イエス様はヨハネを愛されました。
この神の愛のゆえに、
イエス様は全人類の罪のために十字架の死へと赴かれたのです。
「自分の命をその友たちのために捨てることほど大きな愛は誰にもありません」
(「ヨハネによる福音書」15章13節)。
イエス様はその命を敵のために捨てられたのです。
「キリストは、私たちがまだ罪人だった時に
私たちのために死んでくださいました。
このようにして、神様は私たちへの愛を示してくださったのです」
(「ローマの信徒への手紙」5章8節)。
救い主の愛はヨハネの心に主の愛に応答する愛を生み出しました。
救い主の愛は、
信仰を通して主に属する者となっている神様の子どもたち一人一人のうちにも、
ヨハネと同じ主への愛を生み出します。
聖霊様が与えてくださったこの愛は、私たちのことも、
イエス様を愛するように、
また私たちのために死んで復活されたこの方のために生きていくように
させます。
こうして、イエス様の血だらけの傷によって癒されたキリスト信仰者は
イエス様にお仕えしていくのです。
(祈り)愛するイエス様、信仰と愛を私にお与えください。アーメン。
(関連聖句)「ヨハネによる福音書」15章11~17節