2017年5月29日月曜日

マルティン・ルター「活きるために」「イザヤ書」53章4~5節(その4)

本当に、この方は私たちの病を負い、
私たちの痛みを担われたのです。(中略)
この方は私たちの罪過のために傷つけられ、
私たちの不義のために砕かれたのです。
罰はこの方の上にふりかかりました。
それは、私たちに平和をもたらすためでした。
この方の傷によって私たちは癒されたのです。
(「イザヤ書」5345節)(その4)
   

愛する主なる神様、私たちの御父様、
この惨めな人生は、
うんざりするほどの悲惨や不幸や危険、
また不実や悪意に満ちています。
私たちは死ぬことに希望を見出すほどです。
もう我慢できない、とか、生きるのに飽き飽きした、
といった気分がたえず私たちを苦しめます。
私たちは人生にすっかり疲れたし、死を願ってさえいます。
そうすれば、もう苦しむことも耐え忍ぶことも必要なくなるからです。

しかし、愛する御父様、あなたは私たちの弱さを御存知です。
どうか、私たちにあらゆる苦しみに耐える心をお授けください。
この人生の労苦に十分耐えていくことができるように、
私たちを助けてください。
邪悪と悪意の只中を安全にくぐりぬけていけるように、
私たちに同伴し、保護してください。

いつかようやく死ぬ時を迎えたら、
どうか憐れみをもって私たちをこの世から取り去ってください。
死によっておびえたり、勇気を喪失したりしないように、
私たちを守ってください。
あなたに堅く信頼しつつ、私たちは魂をあなたの御手にゆだねます。
アーメン。

2017年5月15日月曜日

マルティン・ルター「活きるために」「イザヤ書」53章4~5節(その3)

本当に、
この方は私たちの病を負い、
私たちの痛みを担われたのです。(中略)
この方は私たちの罪過のために傷つけられ、
私たちの不義のために砕かれたのです。
罰はこの方の上にふりかかりました。
それは、私たちに平和をもたらすためでした。
この方の傷によって私たちは癒されたのです。
(「イザヤ書」5345節)(その3)

モーセの律法の第一戒に対する最高の忠実さは、
順境において神様を畏れ、逆境において神様に信頼することです。
しかし、
神様をないがしろにしている者はこのようにはできません。
彼らには信仰が欠けているので、
神様が彼らをいつどのように助けるべきか、
彼らは誰を通していつ救い出されたいのか、
に関して神様に指図します。
なぜなら、
「肉」(罪深い人間の本性)というものは、
神様のことをまったく聞きたくも見たくもないし、
その救いの手を受け入れようともしないからです。
それどころか、
自分の力や行動の中に逃げ込んでしまい、
神様からの助けを待ち望んだりはしません。
それゆえ、
危険が迫ると、恥じ入り、絶望してしまうのです。


神様は御自分に属する人々を
常に窮乏やあらゆる危険の中に投げだされますが、
彼らがその中で堕落するようにはなさいません。