2017年8月30日水曜日

マルティン・ルター「活きるために」「詩篇」130篇1~2、5節(その2)

深き淵より、主よ、私はあなたに叫びます。
主よ、私の声を聴いてください!
私の祈りの声に耳をそばだててくださるように。
私は主を待ち望みます。
私の魂は待ち望みます。
私は希望を主の御言葉におきます。
(「詩篇」130125節)(その2)
 
私たちを
罪や神様の怒りや永遠の死から贖い出すだけではなく、
苦しみや迫害の只中にある私たちが滅んでしまわないように
守り救い出してくださる主が、
私たちにはいてくださいます。

私たちのこの慰めは、
世の迫害と怒りに対して私たちを保ち、
心を喜ばせ、勇気づけてくれます。

神様の力と慰めは、
それを心の底から乞い願い求めない者には、
決して与えられることがありません。


霊的であれ肉体的であれ、
あらゆる苦難や不安や困窮の只中にあって、
助けや慰めがどこにも見出せない場合に、
私は恵みの御言葉にしっかりつかまります。

どこか他からではなく、
まさにそこからのみ、
私は真の慰めを受け、元気付けられます。
しかも、あふれるほど豊かに。

2017年8月25日金曜日

マルティン・ルター「活きるために」「詩篇」130篇1~2、5節(その1)


深き淵より、主よ、私はあなたに叫びます。
主よ、私の声を聴いてください!
私の祈りの声に耳をそばだててくださるように。
私は主を待ち望みます。
私の魂は待ち望みます。
私は希望を主の御言葉におきます。
(「詩篇」130125節)(その1)
 
死という害悪を免れるためなら、
他のどのような悪いことでも耐えるほうを選ぶのが人の常です。
死を前にして、聖なる信仰者たちもまた恐れを抱きました。
死はキリストさえもおびやかして、
血の滴る汗が出るほどの苦痛を与えました。 


神様が私たちにさまざまな試練や体験を与えて、
私たちがあれこれ考え計画し焦り疑ったところで
どうにもならない苦境に自分が立たされていることに
気がつくようにしてくださるのは、
実はとてもよいことなのです。

そうでなければ、
私たちは自分が神様を必要としていることを理解しないだろうし、
決して信じたり祈ったりするようにはならないでしょうから。

2017年8月16日水曜日

マルティン・ルター「活きるために」「詩篇」39篇5~6、8節(その4)


主よ、私の終わりについて、
また、私の人生の長さがどれほどかについて、
どうか知らせてください。
(中略)ごらんください。
あなたは私の人生を両の手のひらほどの大きさに定められました。
私の人生は御前では無きに等しいものです。
(中略)主よ、今私は何を待ち望めばよいのでしょう。
私はあなたに望みをおきます。
(「詩篇」39568節)(その4)

死が信仰をもっているキリスト信仰者に近づくとき、
その人はこう言います、
「ようこそ、愛する死よ。
どんなよいことをあなたは私にもってきてくれたのか。
何をあなたはここで探しているのか。
私の傍に誰がおられるか、お前は知らないのか。
キリストが私の義であられるのだ。等々」。

このようにキリスト信仰者は死をあざけって、こう続けます、
「死よ、お前の刺はどこにあるのか。
地獄よ、お前の勝利はどこにあるのか」
(「コリントの信徒への第一の手紙」1555節より)、
「キリストは私の命であり、死は私の勝利です」
(「フィリピの信徒への手紙」121節)。

私は、もしも死ぬなら、勝利します。
なぜなら、
それだけいっそう速やかに私は命へと入ることになるからです。
死がキリスト信仰者に対してどのような成果をあげることになるか、
ここからわかります。

死は彼らにとっては勝利にほかならず、
彼らは死によって何も失うことにはなりません。
死はただ彼らに噛み付いて死に至らせるにすぎません。


死は命の始まりです。