2022年12月20日火曜日

「力なき者に力を」「ヨハネによる福音書」16章23節より「イエス様の御名による祈り」

 「イエス様の御名による祈り」

  

よくよくあなたがたに言っておきます。

あなたがたが私の名によって御父様に求めるなら、

御父様はあなたがたに与えてくださることでしょう。  

(「ヨハネによる福音書」1623節より)

   

弟子たちへのお別れの挨拶のときに

イエス様が何度も繰り返し教えられたことがあります。

弟子たちには極めて大きな特権がある、ということです。

弟子たちはイエス様の御名によって願い求めることができましたし、

今もイエス様を信じる人々は

どのようなことであれ神様の御前に携えていくことができます。

なぜなら、

神様はキリストのみわざのもたらした報いのゆえに彼らにそのすべての罪を赦し、

彼らを御自分の愛する子どもとみなしてくださるからです。

 

イエス様は弟子たちに教えたことと同じことを

私たちに対しても幾度となく教えてくださいます。

私たちの祈りは

本来ならば今よりもっと頻繁にもっと熱心になされるべきものです。

私たちは求めないから祈ることができないのです。

この貴重な特権をもっと忠実に用いるように私たちは何度も繰り返し促されます。

祈りすぎることは決してないからです。

 

神様に喜ばれる正しい祈りはイエス様の御名を通してなされます。

祈りかたにはさまざまなやりかたがあってもかまいません。

イエス様が弟子たちに教えてくださった「主の祈り」からもわかるように、

いつも「イエス様の御名によって」という言葉を使わなければならない

ということもありません。

大切なのは、

天の父なる神様が私たちの罪を思い起こさず、

またそれらの罪のゆえに私たちの祈りを却下なさらないように、

そしてイエス様のみわざのもたらす報いのゆえに

私たちがイエス様の中で守られつつ祈る姿勢を

私たちに与えてくださるように祈ることです。

   

(祈り)主よ、

私が御心通りに正しく祈れるように、

永遠に朽ちないものを願い求めるように、

勇気ある信仰をもてるように、

イエス様のゆえに天の御国で祈りが聴かれるようになさってください。

アーメン。

(関連聖句)「マタイによる福音書」6513

2022年12月13日火曜日

「力なき者に力を」「マタイによる福音書」14章23節「祈りの静かなひととき」

「祈りの静かなひととき」


そして群衆を解散させてから、祈るためひそかに山へ登られました。

夕方になっても、ただひとりそこにおられました。 

(「マタイによる福音書」1423節)

 

山の上で、群衆から離れて、イエス様は天の御父様と共におられました。

私たちにとって、これは大切な模範となります。

このような祈り方は神様の子どもなら誰もがもっている特権です。

この特権はイエス様のゆえに私たちに与えられているものです。

それを私たちはちゃんと利用しているでしょうか。

神様と二人きりになるために他のすべてから自分を引き離しているでしょうか。

 

終わりのない忙しさの中にいる私たちには、

このような静かなひとときが必要なのです。

このひとときは山頂で過ごす時に似ています。

山頂からは、何が小さくて何が大きいか、はっきり見分けることができます。

眼下には靄や幻影がたちこめています。

イスラエルに与えることを神様が約束されたカナンの地を

モーセがネボ山の頂上から見渡したように(「申命記」3249節)、

この山頂からさらに上を眺めると、

天の御国という約束の地が遥か彼方に見えます。

このように祈りの山頂にて、

私たちは自分自身をありのままに見つめることができます。

そして自分が罪の赦しの恵みを必要としている存在であることに気づかされます。

また自分や他の人たちの人生を通して神様の御心が実現していくありさまを、

いつもよりはっきり見ることができるようになります。

祈りとは神様と共に過ごすことであり、神様のうちで憩うことです。

 

「祈りの山」から日々の生活の中に下りていくと、

この世的なものの虚しさに気づかされます。

こうして私たちは「神様の子ども」として生きていく新たな力を得たのです。

 

神様との静かなひとときを探すことを通して、

私たちは他のすべてを脇へ置いて神様の御前で一人になる心の準備をします。

そのような時に神様に優しく抱かれて眠り込むのは、

少しもおかしなことではありません。

 

祈りを怠ると多くのものを失うことになります。

神様の子どもは、今日もこれからも、祈りの中に日々を過ごすことが大切です。

 

(祈り)主よ、私たちが祈れるように助けてください。アーメン。

(関連聖句)「マタイによる福音書」142233

2022年12月1日木曜日

「力なき者に力を」「ローマの信徒への手紙」12章1節より「聖化」

「聖化」

あなたがたの身体を神様に喜ばれる活きた聖なる供え物としてささげなさい。

(「ローマの信徒への手紙」121節より)

 

使徒は次のように尋ねます。

「あなたがたは神様の神殿であって、

神様の御霊があなたがたのうちに住まわれていることを知らないのですか」

 (「コリントの信徒への第一の手紙」316節)、

また

「あなたがたの身体は神様から受けてあなたがたのうちにおられる

聖霊様の神殿であって、あなたがたは自分自身のものではない

ということをあなたがたは知らないのですか」

(「コリントの信徒への第一の手紙」619節)。

身体の各部、目、耳、手、足、理性、感覚、身体と魂全体は

神様にお仕えするために聖別されているものです。

私たちは信仰を通して「キリストの義」を着せていただいています。

そのおかげで罪はもはや私たち自身のものとはみなされず、

私たちは神様の御前で「聖なるもの」とされているのです。

 

「聖化」とは、聖なる目的のために選び分かたれることです。

聖霊様は私たちに神様と隣り人とに仕える心意気と力とを与えてくださいます。

神様の子どもが神様の栄光のために神様の十戒に従って

考え、話し、行うことはすべて善い聖なることです。

家庭や職場や学校などで母親や父親や子どもたちが

それぞれに委ねられている使命を果たすのは神様に喜んでいただけることです。

 

私たちは信仰に留まるかぎり、

与えられた使命を忠実に生きる中で信仰の実をたくさん結んでいきます。

そして使徒と同じように

「私たちを強めてくださる方にあって私たちにはそうすることができる」

と言うことができます。

 

(祈り)イエス様、御心の通りに私の言葉を正しいほうへと導いてください。

私の考えを導いて、いつも目を覚ましていることができるように助けてください。

イエス様、私の中にお住まいください。

私があなたの中に留まれるようになさってください。アーメン。

(関連聖句)「ペテロの第二の手紙」118