「祈りの静かなひととき」
そして群衆を解散させてから、祈るためひそかに山へ登られました。
夕方になっても、ただひとりそこにおられました。
(「マタイによる福音書」14章23節)
山の上で、群衆から離れて、イエス様は天の御父様と共におられました。
私たちにとって、これは大切な模範となります。
このような祈り方は神様の子どもなら誰もがもっている特権です。
この特権はイエス様のゆえに私たちに与えられているものです。
それを私たちはちゃんと利用しているでしょうか。
神様と二人きりになるために他のすべてから自分を引き離しているでしょうか。
終わりのない忙しさの中にいる私たちには、
このような静かなひとときが必要なのです。
このひとときは山頂で過ごす時に似ています。
山頂からは、何が小さくて何が大きいか、はっきり見分けることができます。
眼下には靄や幻影がたちこめています。
イスラエルに与えることを神様が約束されたカナンの地を
モーセがネボ山の頂上から見渡したように(「申命記」32章49節)、
この山頂からさらに上を眺めると、
天の御国という約束の地が遥か彼方に見えます。
このように祈りの山頂にて、
私たちは自分自身をありのままに見つめることができます。
そして自分が罪の赦しの恵みを必要としている存在であることに気づかされます。
また自分や他の人たちの人生を通して神様の御心が実現していくありさまを、
いつもよりはっきり見ることができるようになります。
祈りとは神様と共に過ごすことであり、神様のうちで憩うことです。
「祈りの山」から日々の生活の中に下りていくと、
この世的なものの虚しさに気づかされます。
こうして私たちは「神様の子ども」として生きていく新たな力を得たのです。
神様との静かなひとときを探すことを通して、
私たちは他のすべてを脇へ置いて神様の御前で一人になる心の準備をします。
そのような時に神様に優しく抱かれて眠り込むのは、
少しもおかしなことではありません。
祈りを怠ると多くのものを失うことになります。
神様の子どもは、今日もこれからも、祈りの中に日々を過ごすことが大切です。
(祈り)主よ、私たちが祈れるように助けてください。アーメン。
(関連聖句)「マタイによる福音書」14章22~33節