2019年6月12日水曜日

「力なき者に力を」「イザヤ書」40章8節「神様の御言葉の力」

「神様の御言葉の力」

草は枯れ、花はしぼみます。
しかし、私たちの神様の御言葉は永遠に立ちつづけます。
(「イザヤ書」408節)

聖書によれば、
神様の御言葉は
「焼き尽くす火」であり
「打ち砕く鉄槌」であり
「防御の盾」であり
「鋭いとげ」です。
それは活きており、力に満ち、いかなる両刃の剣よりも鋭いものです。

神様の御言葉は、
私たちの生活の中で「信じる者皆にとって救いとなる神様の力」です
(「ローマの信徒への手紙」116節)。

御言葉には救いをもたらす信仰へと私たちを連れて行く力があります。

御言葉は聖霊様が蒔かれた実り豊かな活きた種です。

この御言葉はたんに自由を宣言するだけではなく、
本当に私たちを罪の桎梏から解放してくれます。

この世のものはすべていつか終わりを迎えます。
しかし、神様の御言葉は時と共に移ろうことがありません。
「天と地は過ぎ去ります。
しかし、私の言葉は過去のものとなることがありません」
とイエス様は言われます(「ルカによる福音書」2133節)。

神様の御言葉を信じて、それが与えてくれる命を受け入れるとき、
他のすべてが倒壊していく状況にあっても、
私たちは立ち続けることができます。

神様の御言葉の混じりけのない母乳を飲むうちに、
霊的に弱く経験不足の私たちでも立派な大人に成長していくことができます。
御言葉は、
その力の中で育てられてきた者にとって栄養満点の食事なのです
(「ペテロの第一の手紙」2章)。

私たちは自分の感情や考えに頼るのをやめて、
むしろ御言葉によって制御を受けたそれら感情や考えが
信仰に対して従順となるようにしましょう。
洗礼、福音、聖餐を通して、
御言葉は神様の永遠の恵みについて証しているのです。

(祈り)嵐にさらされないように、
イエス様、どうか御言葉の中に私を保ってください。
苦しみの夜が来ても、御言葉の中に私は留まります。アーメン。
(関連聖句)「マタイによる福音書」72427

2019年6月7日金曜日

「力なき者に力を」「ヨハネの第一の手紙」4章15節「イエス様を告白しましょう」

「イエス様を告白しましょう」

もしも人が「イエス様は神様の御子です」と証するなら、
神様はその人の中に留まってくださり、
その人は神様の中に留まります。
(「ヨハネの第一の手紙」415節)

信仰を通して、人はキリストを「自分のもの」としていただきます。
証を通して、人は信仰を公に示します。
キリストが神様の御子であり世の救い主であることを証する義務が、
私たちキリスト信仰者にはあります。

イエス様について証することは、私たちキリスト信仰者の特権でもあります。
イエス様の弟子たちにとっても、それは大変に名誉なことでした。
イエス様の御名によって公に話すことを禁じられたとき、
弟子たちは「自分が見たり聞いたりしたことについて、
私たちは話さずにはいられません」と答えました(「使徒言行録」420節)。

隣り人にあなたができる最大の奉仕は、
その人にイエス様について語ることです。
イエス様が苦しみを受け、死なれ、死者の中からよみがえられたのは、
その人のためでもあったことを、はっきり示してください。
イエス様の愛、罪の赦し、新しい命の力について語りなさい。
イエス様は癒し、助け、慰めてくださいます。
イエス様は途方にくれている者たちに適切な助言を与えられます。
イエス様は(悪魔や罪などに)縛られ閉じ込められている者たちを
解放してくださいます。

イエス様について証することで、
私たちは隣り人を助けたり、神様を敬ったりするだけではなく、
自らも信仰が強められ、励まされ、喜びをいただくことになります。
「私について人々の前で証する者について、
私もまた天の御父様の御前で証します」とイエス様は言っておられます
(「マタイによる福音書」1032節)。
 
(祈り)私の贖い主であり王であられるイエス様、
私の舌が口の中でちゃんと回るかぎり
あなたについて証することができるように、
どうか私を助けてください。
(関連聖句)「マタイによる福音書」161319