2018年10月25日木曜日

「力なき者に力を」「イエス様が選ばれた人々」「ヨハネによる福音書」15章16節

「イエス様が選ばれた人々」

あなたがたが私を選んだのではありません。
私があなたがたを選んだのです。
私があなたがたにこの地位を与えたのは、
あなたがたが行って実を結び、
あなたがたの実が保たれ、
あなたがたが私の名によって御父様に願うことを、
私があなたがたに与えるためです。(「ヨハネによる福音書」1516節)

イエス様は私たちキリスト信仰者を
「御自分に属する者」とするために召してくださいました。
この誉れはこの世のいかなる誉れとも比較できるものではありません。
神様の愛により、イエス様は、
まったくの恵みと憐れみのゆえに、
私たちを幸いなる永遠の救いに与る者としてくださいました。
この世ではイエス様の臣下としてその御国で生活し、
その後、栄光の御国において永遠にイエス様と共にいることが、
私たちには許されています。
これほどまで大いなる誉れに
私たちは本当に与っているというのでしょうか。
そう、これは本当のことなのです。
なぜなら、イエス様が、
「私があなたがたを選びました」、
とおっしゃっているからです。

もしも選びが自分自身にかかっているのだとしたら、
私たちは決してこのような誉れある地位を得なかったことでしょう。
私たちは罪の中に死んでいたのであり、神様の敵であったからです。
「私があなたがたを選んだのです」。
この尊い御言葉を神様に感謝します!

私たちを御自分に属する者として選ぶときに、
イエス様の御心は、
まず、私たちを救うために私たちに仕えることでした。
一方で、イエス様は、
救われた私たちが御自分にお仕えすることも望まれています。

天の故郷へ帰る時をこの世で待っている間に
(つまり、私たちがこの世で生きている間に)、
私たちがイエス様の御旨を行い、
イエス様のために生活し、
イエス様の御国を建てることが、
イエス様の望まれていることです。

イエス様が私たちを選ばれたのは、
私たちが信仰の実を結ぶためです。
ですから、私たちは、
自分に委ねられた大切な召し(職務)と責任を、
片時も忘れるべきではありません。

(祈り)主イエス様、私を選び、
御自分に属する者として受け入れてくださったことを感謝します。
私が今年もあなたの御心を行うことができるようにお助けください。
アーメン。
(関連聖句)「コロサイの信徒への手紙」1114

2018年10月8日月曜日

「力なき者に力を」「イエス」「ルカによる福音書」2章21節

「イエス」(1月1日用のテキストです)
 
八日が過ぎ、彼に割礼を施すべき時が来て、
イエスという名が与えられました。
この名は彼が胎に宿る前に天使から告げられたものです。
(「ルカによる福音書」221節)
 
私たちはまた新年を迎えることができました。
神様が賜る新たな恵みの年が目の前に広がっています。
これからどのようなことが起こるのか、誰も知りません。
実は、それは神様の思慮深い配慮によるものなのです。
もしも未来のことをあらかじめ知らされていたならば、
来るべき困難を前にして心配し慌ててしまうことでしょうから。

昨年一年間のことを振り返るとき、
天の御父様が恵みと多様な祝福を私たちに賜ったことに
今更ながら気付かされます。
私たちは多くの罪や弱さや欠点をかかえています。
ですから、
「私は去年あなたが私に示してくださった恵みと誠実とをいただくのに
ふさわしくない者です。
しかし、神様、このように罪深い私をどうか憐れんでください」、
と私たちは告白するべきなのです。

見上げると、新年の入り口という門の上に「イエス」という名が見えます。
「イエス」とは「救い主」という意味です。
救い主としてイエス様は私たちのために死んでくださったのです。
そして、ひとえにその十字架の御業のゆえをもって、
神様は私たちに憐れみ深く接してくださるのです。
この救い主が今も変わることなく日々私たちと共にいてくださいます。
そして、イエス様が共にいてくださるおかげで、
私たちは恐れることなく前に進むことができます。
イエス様は私たちを守り、導いて行かれます。
そして、しかるべき時が来ると、
イエス様は私たちを天の我が家へと連れ帰ってくださるのです。

(祈り)愛する救い主イエス様、
今年もまたどうか私たちと日々共にいてください。
アーメン。
(関連聖句)「マタイによる福音書」12125