12月26日
「主イエス様、私の霊をお受け取りください」、と祈りつつ話しているステパノに、人々は石を投げ続けていました。 (「使徒の働き」7章59節)
「私は祈ります、主イエス様、私の霊をお受け取りください!」
ステパノは、自分の霊がキリストにあって救われるなら、肉体もまた霊とともに救われるのだから、自分の肉体のことを心配する必要はない、と確信していました。ここには、死んだ後も命が続くことへのステパノの信仰がすばらしい形で表現されています。ステパノが殉教したのは、ステパノ自身のためではなく、私たちを慰めるためのものです。それは、ステパノの残した軌跡の上を私たちが歩むときに、イエス様が私たちの場合にも同じように働いてくださることを私たちが疑わないためなのです。
12月27日
彼らは収穫のときに喜ぶように、獲物を分け合うときに楽しむように、あなたの御前で喜びました。(・・・)なぜなら、独り子が私たちのために生まれ、男の子が私たちに与えられたからです。
(「イザヤ書」9章2、5節より)
この子供についてのみ、聖書は「彼は私たちのために生まれた」と言っています。この子は私たちのために生まれ、「私たちのもの」なのです。彼は自分自身のためには生まれる必要がなかったことでしょう。彼が人として生まれてからもっているものや行うことはすべて、私たちに関わりがあるのです。そして、あらゆる出来事は、私たちの益や幸福や救いのために、起こったのです。
12月28日
なぜなら、独り子が私たちのために生まれ、男の子が私たちに与えられたからです。支配権はその双肩にかかっており、その御名は「奇跡の助言者」、「勇士なる神」、「永遠の父」、「平和の君」と呼ばれます。
(「イザヤ書」9章5節)
この方は、私たち全員の罪の重みをいっぺんに十字架によって担いでくださいました。この方は、私たち皆が昔も今もこれからも行うすべての罪を私たちに代わって御自分に引き受け、それを赦してくださった、という十字架のメッセージを通して、今もなお福音によって私たちの罪を担いでくださっています。これはキリストにふさわしい、慰めのことばです!この方は御国をその肩で担っておられるのです!
12月29日
彼の支配力は大きく、ダヴィデの王座とその王国には平和が限りなくつづきます。彼は今から後も永遠に、公平と正義とをもって王国を立て、保たれます。万軍の主の熱情がそうなさるのです。
(「イザヤ書」9章6節)
ちょうど父がわが子に、また羊飼いがその羊たちにするように、この方は御国をそのすべての欠点をも含めて担いでおられます。この方は御国の民をその罪のゆえに投げ捨てず、逆に彼らを助けて癒してくださいます。なぜなら、この方の御国は、すべての貧しい罪人にとって、助けと恵みと慰めの王国だからです。
12月30日
「さあ私たちはベツレヘムへ行って、主が私たちに告げ知らせてくださった出来事を見て来ようではありませんか。」
(「ルカによる福音書」2章15節より)
人間的な信仰と神的な信仰の真の違いは次の点にあります。人間的な信仰は、特定の人間に頼り、メッセンジャーがほかならぬその人であるという理由でその言葉を信用して敬います。それに対し、神的な信仰は、神様御自身がその中におられる御言葉にしっかりと留まり、それを伝える人が誰であるかには関わりなく、それが真であることを受け入れて敬います。(・・・)こうした信仰は、生きていても死んでいても、地獄でも天国でもくずれません。誰もそれを滅ぼすことはできないのです。そのような信仰は、御言葉に基づいているからです。
12月31日
兵卒の中の一人が槍でイエス様のわきを突き刺しました。すると、すぐに血と水とが流れ出ました。
(「ヨハネによる福音書」19章34節)
主イエス・キリストのわきから流れている血こそは、私たちをあがないだすために必要な、私たちの罪を完全に帳消しにする「値段」です。故なく受けた苦しみと死によって、また十字架で流された聖なる尊い血によって、愛する主イエス・キリストは、私たちのすべての罪の負債を支払ってくださり、自分自身の罪のゆえに永遠の死と滅びに支配されていた私たちをあがないだしてくださいました。このキリストの血は神様のみもとで、私たちを守るために休みなくこう叫び続けています、「憐れんでください!憐れんでください!赦してください!赦してください!お父様!お父様!」。このようにしてキリストの血は、私たちのために、神様のあわれみと罪の赦し、また義と救いをそなえてくださったのです。父なる神様は今、神様と私たちの仲介をしてくださるこの愛する御子の叫びと私たちのためのとりなしの祈りとを聴いてくださり、弱々しい罪人である私たちをあわれんでくださいます。私たちはすみずみまで罪にまみれているにもかかわらず、神様は私たちの中にひとつの罪も見出しません。神様は、愛する御子イエス・キリストの比類なき尊い血だけを見ておられるからです。そして、この血によって私たちは清くすすがれているのです。この血こそが、黄金の恵みの衣装です。この血によって、私たちはおおわれています。この血に包まれて、私たちは神様の御前に進み出ます。それゆえ、神様は私たちを、あたかも義と聖と無垢に満ちた愛する御子であるかのようにみなしてくださるのです。
おわり