2020年3月27日金曜日

「力なき者に力を」「ローマの信徒への手紙」1章14節「私たちには負債があります」

「私たちには負債があります」

ギリシア人にもギリシア人以外の者に対しても、
賢い者にも無知な者に対しても、
私には負債があります。
(「ローマの信徒への手紙」114節)

負債は重くのしかかってきます。
人はそれを支払い終えるために全力を尽くすものです。

パウロは自分がすべての人に対して負債を抱えていると感じていました。
神様は彼に対して大いなる御業を行われました。
パウロは自分が受けた善を他のすべての人とも分かち合いたいと思いました。
彼は「私たちの主の恵みはこの上なく豊かです」と言った後に、
「私が憐れみをいただいたのは、
キリスト・イエスがまず私に対してあらゆる忍耐を示し、
そして、これからイエス様を信じて永遠の命を受ける人々の模範に
私がなるためです」(「テモテへの第一の手紙」11416節より)
と話を続けました。

パウロには今イエス様がおられます。
イエス様はすべての人の必要を十分に満たし、歪んだ関係を正し、
人を恐れから解放して全き安全の中へと導かれます。

パウロは非常に困難な状況の中でイエス様に栄光を帰しました。
彼は十字架にかかったこの御方のみを知ろうとしました。

救いをイエス様への信仰を通して理解するとき、
私たちもまた負債を抱える者になります。
神様の御子をいただいている人は命を得ていますが、
イエス様を信じない者は命をもっていません。
私たちはイエス様を通してあがなわれ、罪を赦していただいています。
そして、このことをすべての人に告げるという負債を負っているのです。

あなたは今日この自分の負債を返していくために何かしたでしょうか。
  
(祈り)主よ、私たちが自分の負債を思い起こして
それを熱心に返済していくことができるように、どうか助けてください。
キリストのゆえに私の罪の負債がすでに免除されていることを感謝いたします。
アーメン。
(関連聖句)「コリントの信徒への第一の手紙」91623
 

2020年3月20日金曜日

「力なき者に力を」「マタイによる福音書」16章15節「彼は誰なのか?」

「彼は誰なのか?」

そこで、イエス様は彼らに言われました、
「それでは、あなたがたは私を誰と言いますか」。
(「マタイによる福音書」1615節)

歴史はイエス様についてほとんど何も語りません。
とはいえ、数人の古代の歴史家は
そのような人物が実際にいたことについては言及しています。

イエス様は御自分では何も書き残されませんでした。
しかし、イエス様については
他の誰についてよりもたくさんのことが書き継がれてきました。
イエス様は一篇の詩も一曲の歌もお作りになりませんでした。
しかし、イエス様の御性質と御言葉とは
きわめて豊かな詩や愛にみちた歌を生み出してきました。
イエス様は学者ではありませんでした。
しかし、優れた研究者の中にもイエス様の謙遜な弟子である人たちがいます。

イエス様のことを
「人類史上最高の人間」とか「最良の教師」とか「最も模範的な人物」
などと言うだけでは足りません。
イエス様はそれらよりも遥かに偉大なお方だからです。
天が地よりも高いように、
イエス様は世界で他のあらゆるものの上におられます。
 
「あなたはキリスト、活ける神様の御子です」とペテロは信仰告白しました。
イエス様は神様であられ、人であれ、
神様と人との間をとりもってくださる唯一の仲介者です。
イエス様は罪の赦し、命、救いなのです。
イエス様は御言葉を通して私たちに世に勝利する信仰を与えてくださいます。
イエス様は私たちを不思議な宝にあずからせてくださいます。

(祈り)主イエス様、私たちが心で信じつつ
「あなただけが私たちの救い主です」と口でも告白できるように
どうか助けてください。アーメン。
(関連聖句)「マタイによる福音書」161317

2020年3月13日金曜日

「力なき者に力を」「マタイによる福音書」4章1節「誘惑を受けて」

「誘惑を受けて」

さて、悪魔によって誘惑を受けるため、
イエス様は御霊によって荒野に連れて行かれました。
(「マタイによる福音書」41節)

聖霊様はイエス様を悪魔の誘惑にあわせるために
ユダヤの荒野に連れて行きました。
救い主はあらゆる誘惑を受け、
一番厳しい試練に耐えなければならなかったのです。
寂寞とした荒野でイエス様の公の活動が始まりました。
測り知れないほど辛い偉大な使命を成し遂げるために、
イエス様は出発なさいました。

イエス様は40日間断食なさいました。
休息、肉体の鍛錬、十分な栄養のほうが断食よりもよいと
私たちは考えるでしょう。
しかし、イエス様は空腹に苦しむ道を選ばれたのです。

ここにも私たちに対する大切な教えがあります。
私たちは肉体や心の健康維持を軽視しはしません。
しかしその一方で、私たちは霊的な健康維持をしばしば忘れてしまいがちです。
私たちにはイエス様の血まみれの傷からいただける「健康」が必要なのです。
私たちには聖霊様のくださる意志の力と理解力が必要です。
私たちにはあらゆる忍耐と義人の心持が必要です。
そして、これらは
私たちが救い主に信仰を通してつながっているときにいただけるものです。

私たちは祈りを通して神様に心の内にあることを注ぎ出すべきです。
また、聖なる御言葉を通して神様が私たちに語られることを聴き取れるように
心を鎮めなければなりません。
そのようにするならば、
人生の重荷やそれが私たちに課す義務や誘惑が
私たちを押しつぶすようなことにはなりません。
私たちは使徒と共にこう言います、
「私を強めてくださる方のうちで私は何でもすることができます」
(「フィリピの信徒への手紙」413節)。

(祈り)イエス様、
試練と誘惑の中にいる私が罪に陥ることがないように助けてください。
聖霊様、人生の幾多の困難の中にいる私を強めてください。アーメン。
(関連聖書)「マタイによる福音書」4111

2020年3月4日水曜日

「力なき者に力を」「アモス書」4章12節より「備えはできていますか」

「備えはできていますか」

イスラエルよ、あなたの神様にお会いする備えをしなさい。
(「アモス書」412節より)

悔い改めるための猶予を与える時間がまだ用意されているとか、
死んでからでも悔い改めるのは遅くない
などと思い込んでいる人が大勢います。
しかし、聖書は「今日」という日が私たちにとって備えられた救いの日である
と言っています。

核戦争や疫病など諸々の脅威に晒されている現代の世界は
核兵器やその他の攻撃に対してはもはやなすすべがありません。
このような状況においては
「今の私は神様にお会いする備えができているだろうか」
と自問するべきなのです。

いつか来るかもしれない核攻撃やその他の病気や災害に備えるばかりではなく、
「今日」という日に私たちはこの質問に答える用意を整えておくべきです。
「神様の備えられた和解を受け入れなさい」と使徒パウロは奨励しています
(「コリントの信徒への第二の手紙」520節より)。

「ご覧なさい、今は備えられた(恵みの)時、今は救いの日なのですよ」
(「コリントの信徒への第二の手紙」62節より)。

失われた持ち物には後からでも再び入手できるものが多いでしょう。
失われた健康も後には恢復するかもしれません。
しかし、過ぎ去った日々は戻りません。
ある古びた日時計には「私は影に過ぎません。あなたもそれは同じです。
私は時を大切にしています。あなたもそうしていますか」と記されていました。

神様にお会いする備えをする方法は一つだけです。
それは、自分自身の義ではなくキリストへの信仰から来る義を
私が「自分のもの」として大切にしている様子を神様に観ていただくことです。
 
このように「備えをもって生きる」のは私たちの行いに基づくものではなく、
キリストが私たちのために成就してくださった救いの御業を
素直に自分自身に受け入れて身にまとう信仰に基づいています。
キリストのゆえに天の御父は
私たちを天の御国を継承する資格がある者とみなしてくださるのです。

(祈り)救いの神様、
キリストにあってあなたが備えてくださった救いを
「自分のもの」とすることができるように、
どうか私の心がいつもキリストのうちにあるように整えてください。
(関連聖句)「イザヤ書」5517