2010年11月30日火曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」2月11日~15日

211

律法によって義とされようとする[1]あなたがたは皆キリストから離れてしまいまし[2]恵みから落ちてしまいまし[3]
ガラテアの信徒への手紙54節)

自分が罪人であることを告白しない罪人にならないよう、神様が私たちを守ってくださいますように!もしも私たちが罪に陥るのを神様がおしになる場合には、私たちがそれ罪でした」と告白したあとで、神様が私たちに罪の赦しを与えてくださるような、そのような罪に落ち込ませてくださいますように!私たちがそれでした」とは告白しないで、逆にそれを「と見なすような、そのような罪には私たちを落ち込ませなさいませんように!こういう罪に対しては神様は私たちに赦しを与えることがありえませんから。



212

あなたがたは皆互いに対してへりくだることを身につけなさい。神様は高ぶる者たちに反対なさり、へりくだる者たちに恵みを与えてくださるからで
ペテロの第1手紙」55節後半)

神様は弱さを忍ばれますが、軽蔑という悪については忍耐なさいません。ただひとり力に満ちた方である神様に、私たちが自分たちの弱さを告白する神様栄光となります。しかし、私たちが神様を軽んじて御言葉や尊い福音を無視するような悪を、神様は我慢なさいません



213

それから人々が東から西からまた南から北からやって来て国で食事の席に着くことしょうごらんなさいそこには最初の者にな最後の者たちや最後の者になってしまう最初の者たちがいます
ルカによる福音書132930節)

最後になってしまう危険ないほどの「高みに達する者はひとりもいませんし、最初になる希望がないほど深く罪に陥る者はひとりもいませんどんな功績に意味がないのです。賛美されるべきなのは、ひとえに神様の恵みのみで。そのとき多くの最後の者は最初の者になり、多くの最初の者は最後の者になります。



214

エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、あなたにつかわされた人々を石で撃ち殺す者よ、ちょうどめんどりが翼の下にそのたちを集めるように、私は何度あなたの子供たちを集めようとしたことでしょうか。しかし、あなたたちはそれを受け入れようとはしませんでした
マタイによる福音書2337節)

神様の裁きに耐えようとする者にとっては、信じて、恵みはたらき心の中で経験するだけでは足りませんというのは、その人自分自身の中から出だせるような、どのようなことにも頼ることができないからでその人はキリストの義に頼らなければなりません、そして、神様の裁きの時にそれがその人の守りでなければなりませんなぜなら、キリストの義は、あらゆる栄光の中にあって神様の御前に永遠にりつづけるからで詩篇にこう書かれている通りす、この方の義は永遠にりつづけます」(詩篇1113節)

のことに頼るは、そっと隠れてこの義の守りの中にもぐりこみ、この義が守ってくれることを疑わずに信じます。そしてそのとおりになるのですその人は守りを得ます、しかしそれは、自分自身や自分の信仰のおかげではなく、その人が避けどころを求めたキリストとキリストの義のおかげなの



215

私を憐れんでください、神様、私を憐れんでください。私の魂はあなたに避難しますから。滅びが過ぎ去るまで、私はあなたの翼の陰に避難しますから。
詩篇57篇2節)

私たちはキリストに、キリストなる岩に、キリストなるけどころにとどまらなければなりません。さもないと、すべては手遅れになってしまいます


[1] 現在形。
[2] アオリスト。
[3] アオリスト。

2010年11月26日金曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」2月6日~10日

  
26

しかし信仰が現れたので、私たちはもはや養育係の下にはいません。あなたたちは皆、キリスト・イエスにおける信仰を通して神様の子どもたちなの
ガラテアの信徒への手紙32526節)

キリストは人間性を身にまとって、時間の世界に踏み入り、律法をあらゆる裁きと共に満たし、御自分の死によって、信仰を通してキリストの恵みのみわざを自分の宝物としている人たちを、罪や永遠の滅びから解放しました。ということは、もしもあなたがキリストキリストのみわざを見つめているなら、あなたはもはや律法の下にはいないことになります。なぜならキリストは、時が満ち世にあらわれて、律法の要求を完全に満たしてくださったからでいったん律法が満たされた以上、私たちはもはや律法の厳しい監視の下にはいないのです。それで私たちは、御霊により憐れみ深く私たちを支配してくださるキリストの中で、安心し喜んで生きていくことができるので



27

それだから兄弟たちよ、イエス様を通してあなたがたに罪の赦しが宣べ伝えられているということを、あなたがたは知らなければなりません[1]。あなたたちがモーセの律法によっては義とされなかったあらゆることに関して、信じている人はキリストにおいて義とされているので[2]
使徒たちの働き133839節)

繰り返しますが、福音は恵みと罪の赦し神様が保証してくださっていること以外のなにものでもありません



28

イエス様は、酸い葡萄酒を受けたとき「満たされた」と言われました。そして頭を傾けて霊をお渡たしになりました。
ヨハネによる福音書1930節)

罪が私たちの上に重くのしかかるときには、それをキリストに肩代わりしていただきましょう。キリストはそれを十字架に運んで私たちに罪の赦しを与え死と悪魔を滅ぼそうと望んでおられます。このようにして私たちもキリストの死にあずかる者になるのです



29

このようにして律法は、私たちが信仰によって義とされるために私たちをキリストへと導く私たちの養育者となったので
ガラテアの信徒への手紙324節)

私たちが天国でモーセに出会うときにモーセはこう尋ねることしょう、「どうやってここに来ましたか。律法を破らなかったのですか」そのときに私たちはこう答えます、「私たちは律法の光のもとではあまりに惨めでした。律法の要求は私たちを不安に陥れ、キリストへと追いやりました。キリストにあって私たちは律法が要求しつつも実現できずにいたことをすべて、一挙に得ました」そのときモーセはこう答えるでしょう、「あなたたちは私の言っていることを正しく理解しましたね」



210

律法の行いに頼る者は皆、のろいの下にあります次のように書いてある通りす、「律法の書に書いてあるすべてのことの中にとどまって、それを行おうとしない[3]者は皆それぞれのろわれています律法によっては神様の御前で義とされない[4]のは、明瞭で。なぜなら「義人は信仰により活きることになる[5]」からで
ガラテアの信徒への手紙31011節)

義とされるために律法が必要だと教える者はキリストやキリストの恵みのみわざを否定し、神様を嘘つきにしてしまいます。なぜなら律法はキリストについての約束を強く支えキリストは律法ではなく、恵みの王様でことを予言したからで


[1] 動形容詞の人称的用法
[2] 現在形。
[3] 不定詞。目的をあらわす。
[4] 現在形。
[5] 未来形。