2010年11月23日火曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」1月21日~25日

121

すべての人を救うため、神様の恵みがあらわました。恵みは私たちが不信仰とこの世的な欲望を拒絶して、思慮深く正しく神様敬って今の世の中で生きていくように訓育しています
テトスへの手紙21112節)

神様の恵みは、偉大で強力です恵み魂の中で何もしないで眠り込んだりしません。また、寝惚けた説教者たちがわめいているように恵みを好き勝手に用いることもできません。そうではなく、恵みは、自分について告げ知らせ、人全体持ち上げ、運び、支え、自分に近づけ、形作り、柔軟にします



122

誰も二人の主人に仕えることはできません。一方を憎み他方を愛するようになったり、一方の肩を持って他方を軽んじるようになったりするからで。あなたがた神様とマモン(富)の両方に仕えることはできません
マタイによる福音書624節)

お金や財産を所有することは、べつに禁じられていません。私たちはそれらなしには生きていけないでしょう。アブラハム、ロト、ダヴィデ、ソロモンや聖書にでてくるその他の人たちにも沢山の財産とお金がありました。今でもなお、あちこち心正しいお金持ちの人たちがいます。「財産を所有すること」は、「財産つまりマモンを自分の神としてその奴隷になること」、まった違います。



123

私たちは肉の中に歩んでいますが、肉にしたがって戦っているのではありません。私たちの武器は肉的なものではなく、神様のために要塞を破壊するほど強力なもので。私たちは理性に基づく様々な考えを打破し、神様の知恵に逆らって築き上げられたすべての高台を除去し、あらゆる思いを捕縛してキリストへの従順へと導き、そしてあなたがたが完全に従順になったときに、不従順な者すべてを処罰しようと用意を整えているのです。
コリントの信徒への第の手紙 1036節)

クリスチャンが神様の御命令に従って御言葉を宣教してまわるところではどこでも、サタンは力を失って福音の力の前から逃げ去ります



124

私はあなたが私に与えてくださった牧会者の使命から逃げ回ったりはしませんでしたし、滅びの日を願いもしませんでした。あなたはそのことを御存知です。私の口から出た言葉は、あなたの御前にあります。
エレミヤ1716節)

説教職を務めることはあまりに重荷であるため、もしも私たちが神様の栄光のみと隣人たちの利益のみを求めるのでなければ、とても遂行できるものではありません。説教の職務を果たすと、その教師はその報酬として嘲りと苦しみとを受け栄光や利益は他の者たちが取ってしまいます。そういうわけですから、倦むことなく愛することに努め、快楽を求めてはなりません。これを実現させるのはひとり神様の御霊だけであって人間などの力では到底できません



125

植える者も水を注ぐ者もたいした者ではありません。成長させてくださるお方は神様で
コリントの信徒への第1の手紙37節)

傲慢は、おそるべき病で特にひどいのは宣教者たちが傲慢になってしまう場合には。それら宣教者たちは自分の栄光を探し求めるようになります宣教者は自分が感謝されるか軽蔑されるか気にかけずに、神様の栄光人間の救いのみを求めなければなりません