1月21日
すべての人を救うため、神様の恵みがあらわれました。恵みは、私たちが不信仰とこの世的な欲望を拒絶して、思慮深く、正しく、神様を敬って、今の世の中で生きていくように、訓育しています。
(「テトスへの手紙」2章11~12節)
神様の恵みは、偉大で強力です。恵みは、魂の中で何もしないで眠り込んだりしません。また、寝惚けた説教者たちがわめいているように、恵みを好き勝手に用いることもできません。そうではなく、恵みは、自分について告げ知らせ、人全体を、持ち上げ、運び、支え、自分に近づけ、形作り、柔軟にします。
1月22日
誰も二人の主人に仕えることはできません。一方を憎み他方を愛するようになったり、一方の肩を持って他方を軽んじるようになったりするからです。あなたがたは、神様とマモン(富)の両方に仕えることはできません。
(「マタイによる福音書」6章24節)
お金や財産を所有することは、べつに禁じられていません。私たちは、それらなしには生きていけないでしょう。アブラハム、ロト、ダヴィデ、ソロモンや聖書にでてくるその他の人たちにも、沢山の財産とお金がありました。今でもなお、あちらこちらに、心正しいお金持ちの人たちがいます。「財産を所有すること」は、「財産つまりマモンを自分の神としてその奴隷になること」とは、まったく違います。
1月23日
私たちは肉の中に歩んでいますが、肉にしたがって戦っているのではありません。私たちの武器は、肉的なものではなく、神様のために要塞を破壊するほど強力なものです。私たちは理性に基づく様々な考えを打破し、神様の知恵に逆らって築き上げられたすべての高台を除去し、あらゆる思いを捕縛してキリストへの従順へと導き、そしてあなたがたが完全に従順になったときに、不従順な者すべてを処罰しようと、用意を整えているのです。
(「コリントの信徒への第二の手紙」 10章3~6節)
クリスチャンが神様の御命令に従って御言葉を宣教してまわるところでは、どこでも、サタンは力を失って、福音の力の前から逃げ去ります。
1月24日
私は、あなたが私に与えてくださった牧会者の使命から逃げ回ったりはしませんでしたし、滅びの日を願いもしませんでした。あなたはそのことを御存知です。私の口から出た言葉は、あなたの御前にあります。
(「エレミヤ」17章16節)
説教職を務めることは、あまりに重荷であるため、もしも私たちが神様の栄光のみと隣人たちの利益のみを求めるのでなければ、とても遂行できるものではありません。説教の職務を果たすと、その教師はその報酬として嘲りと苦しみとを受け、栄光や利益は、他の者たちが取ってしまいます。そういうわけですから、倦むことなく愛することに努め、快楽を求めてはなりません。これを実現させるのは、ひとり神様の御霊だけであって、人間などの力では到底できません。
1月25日
植える者も水を注ぐ者も、たいした者ではありません。成長させてくださるお方は、神様です。
(「コリントの信徒への第1の手紙」3章7節)
傲慢は、おそるべき病です。特にひどいのは宣教者たちが傲慢になってしまう場合には。それら宣教者たちは自分の栄光を探し求めるようになります。宣教者は、自分が感謝されるか軽蔑されるか気にかけずに、「神様の栄光」と「人間の救い」のみを求めなければなりません。