2017年1月27日金曜日

マルティン・ルター「活きるために」「ペテロの第一の手紙」4章10~11節(その1)

各自、
与えられた恵みの賜物を用いることによって、
互いに仕え合いなさい。(中略)
それにより、
すべてにおいて神様がイエス・キリストを通して
栄光を受けられるようになるためです。
神様に栄光と御力とが永遠にありますように。
アーメン。
(「ペテロの第一の手紙」41011節)(その1)

「隣り人を自分自身と同じように愛しなさい」、
という簡潔な御言葉は美しく力強いものです。


人は「自分」という存在ほど適当で確実で身近な例を
ほかに見つけることができるでしょうか。
「愛」ほど高貴で献身的な態度は他にありません。
また、「隣り人」ほど目に留まる相手は他にいません。
つまり、上に挙げた例と態度と相手とはすべて申し分のないものです。

そして、隣り人をどのように愛するべきか、
また、この愛を模範的に実践する態度がどのようなものか、
知りたい場合には、
あなたがどのように自分自身を愛しているか、
注意深くじっくりと考えてみればわかります。

2017年1月20日金曜日

マルティン・ルター「活きるために」「詩篇」127篇3節、「コロサイの信徒への手紙」3章20~21節(その3)

御覧なさい、
子どもは主からの相続財産です。
胎の実は報酬です。
(「詩篇」1273節)
 
子どもたち、
すべてに関して親に従順でありなさい。
それは主にあって御心に適うことだからです。
父親たち、
子どもたちをいらだたせてはいけません。
彼らがいじけないようにするためです。
(「コロサイの信徒への手紙」32021節)(その3) 

たとえ子どもたちが感謝の心をもたない場合でも、
親は彼らの最善を考えて行動する努力を怠ってはなりません。


子どものうちに、神様の全能と知恵と技能があらわれています。
神様は子どもを何もないところから造られたのです。
一年の間に神様は子どもに、
体と命と肢体全部を素晴らしく精巧に可愛らしく形作ってお与えになりました。
そして、これからも子どもを養い育ててくださるのです。
ところが、私たちはこのことに十分気をとめず、
自分の道を勝手に歩んでいます。
私たちは神様からのそのような賜物(子ども)に対して
盲目で貪欲になってしまう場合があります。

(中略)赤ちゃんにも、
すでにこの世に生まれる前からその子に定められたささやかな役割、
すなわち、その子がどのようなもの(才能など)をもっていて、
大きくなったら何になるはずかということがちゃんと用意されていることを、
私たちは知らないのです。

2017年1月5日木曜日

マルティン・ルター「活きるために」「詩篇」127篇3節、「コロサイの信徒への手紙」3章20~21節(その2)

御覧なさい、
子どもは主からの相続財産です。
胎の実は報酬です。
(「詩篇」1273節)(その2)
 
子どもたち、すべてに関して親に従順でありなさい。
それは主にあって御心に適うことだからです。
父親たち、子どもたちをいらだたせてはいけません。
彼らがいじけないようにするためです。
(「コロサイの信徒への手紙」32021節)
  
自分たちの力や懸命な努力や行いによっては
決して子どもたちを十分に養育できはしないということに、
父親も母親も気が付くべきです。
だからこそ、彼らは神様に助けを求めて叫び、
こう祈らなければならないのです、
「主なる神様、天の御父様、
子どもたちが真っ当な人間に育つように、
どうか私たち親を助けてください」。

子どもたちをよくしつけて育てた場合であっても、
予想もできないほど悪い道に彼らが迷い込んでしまう場合があることを
多くの親たちは経験します。

もしも子どもたちの人生がうまく行くならば、
神様に感謝を捧げましょう。

うまく行かない場合であっても、
私たちは少なくとも自分らに与えられた責任は果たしたのです。
なぜなら、
子どもたちの人生がうまく行くかどうかは、
私たちではなく神様の力と権能によっているからです。
もしも神様が一緒に乗船されていないなら、
その旅は決してうまく行きません。