2023年8月31日木曜日

「力なき者に力を」「コロサイの信徒への手紙」3章13節「赦し合っていますか?」

 「赦し合っていますか?」 

   

互いに忍び合いなさい。

もし誰かが誰かに対して責めるべき点があれば、赦し合いなさい。

主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそのようにしなさい。

(「コロサイの信徒への手紙」313節)

 

もしも神様が私たちの罪の報酬に応じて私たちに報復なさるとしたら、

一体どうなってしまうことでしょうか。

「主よ、あなたがもし幾多の不義に目を留められるなら、

主よ、誰がそれに耐えることができましょうか」(「詩篇」1303節)。

 

キリストの死のゆえに私たちには罪の赦しの報酬が与えられました。

それにより神様は赦しを与えてくださるのです。

キリストは私たちの身代わりに死なれることによって、

私たちのすべての罪のすべての罰を御自身に引き受けてくださいました。

そのおかげでいま私たちは

「私たちの罪を赦してください」と心安らかに祈ることができるのです。

 

神様からいただいた罪の赦しの結果として、

私たちもまた(隣り人のことを)心から赦したいと願うようになります。

主の祈りで

「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」

と祈るようにです。

復讐心や恨みは根こそぎ抜き去られていますか。

このようになるためには、

神様からいただける罪の赦しを一心に見つめるほかありません。

神様に対する私たちの罪過は、

私たちに対する(他の)人々のあらゆる罪過に比して

千倍もひどいものだからです。

赦された者として私たちも心から赦して忘れたいと願います。

 

(祈り)私たちの天の御父様、

私たちがあなたから赦していただけていることを

疑わずに祈ることができることを感謝します。

また、あなたからいただく罪の赦しが

決して条件付きのものではないことを感謝します。

あなたの御許にはいつも赦しがあります。

私たちも同じように互いに赦し合うことができるために助けてください。

アーメン。

(関連聖句)「創世記」33116

2023年8月28日月曜日

「力なき者に力を」「イザヤ書」26章3節「心の平和」

 「心の平和」

 

あなたは全き平和をもって、あなたに堅く立つ者を完全に守られます。

あなたに信頼が置かれているからです。 

(「イザヤ書」263節)

 

神様と平和な関係にあるときに、人は心のバランスが取れています。

私たちを造られた主を捨てるとき、心の健康が失われます。

神様の平和がないと、

意味もなく心配し、あわてふためいて、緊張してしまうことになります。

罪は平和を奪い、良心の呵責をもたらします。

しかし、主に依り頼む人々には平和があります。

なぜなら、何者も天の父から私たちを奪い去ることができないからです。

 

逆境の時、健康を害した時、死ぬ間際、良心が苛まれる時に、

人は安全な避難場所を必要とします。

この避難場所へ通じる唯一の脱出路は、

キリストのゆえに怒りを鎮め赦してくださる神様の御許へと向かう

「悔い改めと信仰の道」だけです。

 

神様は洗礼において私たちと永遠の契約を結ばれました。

神様は父親として私たちの面倒を見てくださいます。

ですから私たちは安心してよいのです。

知恵深く全能なる神様は万物を支配しておられる、私たちの御父様です。

このお方に自分の道をおゆだねしてよいのです。

それによって私たちは堅く立つ者となり、

人間の理解を超える全き平和を享受するようになります。

これは、この世での人生において私たちを守る、

決して消えることのない良心の平和です。

これは、キリスト・イエスにあって心と思いを守る、神様の平和です。

 

(祈り)イエス様、どうか私に今すぐにでもあなたの平和をください。

あなたの平和は私の心の嵐を鎮め、荒野を花園に変え、

この世での人生が一瞬であるかのように感じさせてくれるからです。アーメン。 

(関連聖句)「ヨハネによる福音書」142327

2023年8月21日月曜日

「力なき者に力を」「ルカによる福音書」5章12節「病人の祈り」

 「病人の祈り」

イエス様がある町におられた時、

全身が重い皮膚病(原語で「レプラ」)の男の人がそこにいました。

彼はイエス様を見ると、顔を地に伏せて願って言いました、

「主よ、御心でしたら、清めていただけるのですが」。

(「ルカによる福音書」512節)

 

皮膚病患者のこの祈りは謙虚さと神様への信頼に満ちています。

不治の病だったにもかかわらず、

この病人は救い主が癒す力をおもちであることを少しも疑いませんでした。

 

神様には不可能なことが何もありません。

癒し救う力を贖い主はもっておられます。

どれほど自分の病状が重くても

天のお医者様の癒しの力を決して疑ってはいけません。

このお方は治る望みのないはずの病人たちを癒してくださったのですから。

 

「御心でしたら」という言葉に

この病人の深い謙虚さと堅い信仰が表れています。

皮膚病患者は神様の御意志に従いました。

自分自身の行いによる報酬などにはまったく見向きもしません。

主は何が最善かご存知でありきちんと最後まで面倒を見てくださる

と信頼しています。

主がたとえ今は助けてくださらなくても最終的には癒してくださる

という救いの希望をもちながら、

これからも忍耐強く自分の十字架を背負っていくと決意しています。

 

私たちは自分の意志を神様の御心に従わせることができます。

キリストにおいて神様は私たちの愛する御父様であられるからです。

(イエス様の十字架の御業のおかげで)私たちの罪は帳消しにされています。

聖霊様は神様の子どもの霊を私たちのうちに保たれます。

聖霊様は御言葉と聖礼典を通して

私たちが信仰に留まれるようにしてくださいます。

 

(祈り)悲しみに取り囲まれ疑念にとらわれたときには、

主の御手が運び支えてくださいます。

どんな状況の中にあっても主の御許にいるなら安全です。

恵み深い助けを主に感謝いたします。アーメン。

(関連聖句)「詩篇」25