2016年9月30日金曜日

マルティン・ルター「活きるために」「コヘレトの言葉」3章10、13節(その4)


私は
神様が人の子たち(人間)に労苦するべく与えられた仕事を見ました。
(中略)また、人は皆食べて飲み、
そのすべての労苦の中で愉しみを見出します。
これは神様の賜物なのです。
(「コヘレトの言葉」31013節)(その4)

どのように神様が私たちを養おうとなさっているのかについては、
すっかり神様におまかせしましょう。
神様はきっと穀物やお金を与えてくださいます。
それも、適切な時に適切な量を備えてくださいます。
「今日私は働こう。
そして、神様がどこから私に必要なものを与えてくださるか、
よく見てみよう」、
とあなたは考えればよいのです。
そして、次の日もまた同じような調子で生活するのです。
そうすれば、
心配しなくても神様はちゃんとあなたを養ってくださることに、
あなたは気がつくことでしょう。


自ら発揮しうる技量と熱意をもって仕事に打ち込み続けるべきです。
そして、ほかのことはすべて神様にゆだねてこう言うべきです、
「私はできることを行いました。
しかし、主よ、
あなたの御心が実現するために、
私に欠けている部分を補充してくださいますように」。

2016年9月23日金曜日

マルティン・ルター「活きるために」「コヘレトの言葉」3章10、13節(その3)

私は神様が人の子たち(人間)に
労苦するべく与えられた仕事を見ました。
(中略)また、人は皆食べて飲み、
そのすべての労苦の中で愉しみを見出します。
これは神様の賜物なのです。
(「コヘレトの言葉」31013節)(その3)
 
あなたがたは
パンや生計について深刻に力を尽くして心配しています。
しかしそれは仕事のせいではなく、
不安に駆られた不信仰な心のせいです。

この心は神様がちゃんと養ってくださることを信じようとせず、
まず自分の家中の箱や袋や地下倉庫や地所が
一杯になるまでがむしゃらにかき集め、
何年消費してもなくならないくらいの蓄えができたことを
確認するまでは休息しません。


疑い深い不信仰は
私たち人間の中に非常に根強く残っているので、
私たちは食べ物がなくなることを常に心配しています。
神様がどのようにして養ってくださるおつもりか、
私たちが前もって正確に知りたく思うからこそ、
こうした心配が生じるのです。

2016年9月16日金曜日

マルティン・ルター「活きるために」「コヘレトの言葉」3章10、13節(その2)

私は神様が
人の子たち(人間)に労苦するべく与えられた仕事を見ました。
(中略)また、人は皆食べて飲み、
そのすべての労苦の中で愉しみを見出します。
これは神様の賜物なのです。
(「コヘレトの言葉」31013節)(その2)


人は仕事をしなければならないし、また仕事をするべきです。
しかし、食べ物に事欠くことなく豊かに暮らせるのは、
自分の仕事の成果などではなく、神様の善性と祝福のおかげなのです。
(中略)
神様は栄光を御自分に帰すように要求なさいます。
おひとり神様だけが万事を繁栄に導いてくださるからです。

たとえ百年間ずっと畑を耕しつづけ、
この世のあらゆる仕事を行ったとしても、
あなたには土地から藁一本さえ生やすことさえできないのです。

あなたのどのような仕事にも一切頼ることなしに、
神様はすべてを行われます。
あなたが眠っている間にも、
神様は小粒の種から茎を生えさせ、
たくさんの穀物を実らせてくださいます。

2016年9月12日月曜日

マルティン・ルター「活きるために」「コヘレトの言葉」3章10、13節(その1)


私は神様が人の子たち(人間)に
労苦するべく与えられた仕事を見ました。
(中略)また、人は皆食べて飲み、
そのすべての労苦の中で愉しみを見出します。
これは神様の賜物なのです。
「コヘレトの言葉」31013節)(その1)
 

人は仕事をしたり活動したりするべきだし、
またそうしなければなりません。
しかし、
人が得る生活費は自分の仕事によってではなく、
神様の祝福から来ていることを知っておくべきです。
にもかかわらず、
あたかも自分の仕事がその人を養っているように見えがちです。
なぜなら、
人は仕事(活動)をしない場合には神様から何もいただけないからです。
小鳥は種まきも刈り取りもしません。
しかし、食べ物をさがして空を飛ばないなら、飢えて死んでしまいます。
とはいえ、
鳥が自分にエサを見つけるのは
一生懸命さがした成果なのではなく、
神様が善いお方だからなのです。
鳥が見つけられるようにエサを置いてくださったのは
いったい誰なのでしょうか。
それは神様以外にはありえません。