2017年9月27日水曜日

マルティン・ルター「活きるために」「詩篇」102篇2~3節より(その3)

主よ、私の祈りを聴いてください。
私の叫びがあなたの御前に届きますように。
私の苦しみの日に、私から顔を覆い隠さないでください。
私のほうへと耳を傾けてください!
(「詩篇」10223節より)(その3)


私の愛する主イエス・キリストよ、あなたはこう言われました、

「求めなさい。そうすれば、あなたがたに与えられるでしょう。
探しなさい。そうすれば、あなたがたは見出すでしょう。
(戸を)たたきなさい。そうすれば、あなたがたに開かれるでしょう」
(「マタイによる福音書」77節)。

この約束に基づいて、
主よ、どうか強く堅い信仰を私にください。
私はあなたから金や銀を求めはしません。
どうか私が探しているものを私に見つけさせてください。

私はあなたの救いの御言葉を通して、
世の愉しみや喜びではなく、
慰めと活きる力を探し求めています。

私に(戸を)開いてください。
私は(戸を)たたいています。

世が大いに高く評価するものなどを、私は願い求めません。
そんなものは、あなたの御前では私には何の役にも立たないからです。

そんなものより、どうか私に聖霊様をお与えください。
聖霊様が私の心を照らして、
不安や苦しみの中にいる私を強め、慰め、
私が人生の終わりまであなたの恵みへの正しい信仰と信頼とを保てるように
していただきたいからです。

アーメン。

2017年9月20日水曜日

マルティン・ルター「活きるために」「詩篇」102篇2~3節より(その2)

主よ、私の祈りを聴いてください。
私の叫びがあなたの御前に届きますように。
私の苦しみの日に、私から顔を覆い隠さないでください。
私のほうへと耳を傾けてください!
(「詩篇」10223節より)(その2)

神様を信頼し、どんな苦しみの中でも神様を信じること、
また、不幸な目にあってもうろたえず、
神様をないがしろにする人々が栄えても怒りを覚えないことを
私たちが学ぶために、
すべてのことは起きています。

なぜなら、
私たちの主なる神様は御自分に属する民を、
試練を通して吟味なさるお方だからです。
この試練は、
この方が憐れみ深い神であることを
私たちが確実に把握するためのものです。

しかし時には、
主の憐れみは試練の奥深くに隠されていて、
視界から消え去る場合があります。


悲しんでいる時や、
絶望に打ちひしがれている時にこそ、
最も素晴らしい希望が目覚めます。

2017年9月11日月曜日

マルティン・ルター「活きるために」「詩篇」102篇2~3節より(その1)

主よ、私の祈りを聴いてください。
私の叫びがあなたの御前に届きますように。
私の苦しみの日に、私から顔を覆い隠さないでください。
私のほうへと耳を傾けてください!
(「詩篇」10223節より)(その1)
 
自分のことをさげすんだり、
自分自身に絶望したりするのは、
あってはならないことです。
自分のことを惨めに思えば思うほど、
なおさらそのようにしてはいけません。

誰か罪人を裁いたり非難したり、
その人に対して絶望したりしてはいけないのですから、
あなたも自分のことを裁いたり非難したりするべきではありません。
たとえあなたが自分自身や他の人に対して罪人となってしまった場合にも。


同様に、
自分や他の人たちを喜ばせたいと思って、
自画自賛したり自己弁護してはいけないし、
自分自身から何かを期待したりするべきではありません。
そうではなく、
主のみを賛美し、主の御名を喜ぶのが、あなたにふさわしいことです。
主の御名は主の聖徒たちの目に好ましいものだからです。

2017年9月6日水曜日

マルティン・ルター「活きるために」「詩篇」130篇1~2、5節(その3)

 
深き淵より、主よ、私はあなたに叫びます。
主よ、私の声を聴いてください!
私の祈りの声に耳をそばだててくださるように。
私は主を待ち望みます。
私の魂は待ち望みます。
私は希望を主の御言葉におきます。
(「詩篇」130125節)(その3)
 
死んだ人のことは悼むべきですが、それも度が過ぎてはいけません。
あなたが兄弟姉妹や父母や夫や妻やその他の親戚を失ったときに、
悲しむのは正当な理由があってのことです。
親友の葬式で笑うような人でなしであってはいけません。
葬式の時には笑うべきではないし、
主はそのような石や鉄のように硬い心を決してお喜びにはなりません。
しかし、悲しみすぎることで自分を消耗させないために、
悲しむにも限度が必要なのです。


私たちが溜息をついたり涙したりするのは、無駄なことではありません。
それらすべては私たちの主なる神様の書物に書き記されています。
(中略)
神様が私たちの涙の粒をも数えておられること、
また、
それら涙の粒はさながら金の鉢のような容器に集められていくことを、
私たちは知っています。
これはなんと大いなる光栄でしょうか。
(中略)
神様は私を遠くから眺めているのではなく、
かたわらにいて私の考えや悲しみや痛みを数えられます。
しかも、夜の間も休みなく。
神様は、私がそれらの代償を受け取るように望んでおられます。
それも、私が自分で望み理解していることよりもはるかに豊かな代償を。