2017年9月6日水曜日

マルティン・ルター「活きるために」「詩篇」130篇1~2、5節(その3)

 
深き淵より、主よ、私はあなたに叫びます。
主よ、私の声を聴いてください!
私の祈りの声に耳をそばだててくださるように。
私は主を待ち望みます。
私の魂は待ち望みます。
私は希望を主の御言葉におきます。
(「詩篇」130125節)(その3)
 
死んだ人のことは悼むべきですが、それも度が過ぎてはいけません。
あなたが兄弟姉妹や父母や夫や妻やその他の親戚を失ったときに、
悲しむのは正当な理由があってのことです。
親友の葬式で笑うような人でなしであってはいけません。
葬式の時には笑うべきではないし、
主はそのような石や鉄のように硬い心を決してお喜びにはなりません。
しかし、悲しみすぎることで自分を消耗させないために、
悲しむにも限度が必要なのです。


私たちが溜息をついたり涙したりするのは、無駄なことではありません。
それらすべては私たちの主なる神様の書物に書き記されています。
(中略)
神様が私たちの涙の粒をも数えておられること、
また、
それら涙の粒はさながら金の鉢のような容器に集められていくことを、
私たちは知っています。
これはなんと大いなる光栄でしょうか。
(中略)
神様は私を遠くから眺めているのではなく、
かたわらにいて私の考えや悲しみや痛みを数えられます。
しかも、夜の間も休みなく。
神様は、私がそれらの代償を受け取るように望んでおられます。
それも、私が自分で望み理解していることよりもはるかに豊かな代償を。