2014年9月24日水曜日

「ルターの祈りの本」 毎晩眠りに就く前にルターが行ったざんげ(その3)


毎晩眠りに就く前にルターが行ったざんげ(その3)


それからルター博士は、ふつうは次の短い言葉を付け加えました。

イエス・キリスト様、
私はあなたのために生き、あなたのために死にます。
生きても死んでも、私はあなたのものです。
(「ローマの信徒への手紙」147節)

「まことに、まことに、私はあなたがたに言います。
もしも誰であれ人が私の言葉を守るならば、
その人は永遠に死を見ることがありません」
(「ヨハネによる福音書」851節)。(「私」とはイエス様のことです)


歩いていても立っていても、
食べていても飲んでいても、
横になっていても起きていても、
私の耳元には、
活きておられる神様の御子の最後のラッパの音がいつも響いています。
そのラッパが鳴る時、
キリストにあって眠りについた死者たちは、
再び墓から出てきて、この裁き主の御前に立つことになります。
誰もこの裁き主をあざむくことはできません。
人は各々が自分の行いの報いを受けることになります。

2014年9月17日水曜日

「ルターの祈りの本」 毎晩眠りに就く前にルターが行ったざんげ(その2)


毎晩眠りに就く前にルターが行ったざんげ(その2)



あなたの御子イエス・キリストは、
私の罪を帳消しにして赦してくださるために、
私を憐れみ、御自分の血を十字架の上で流してくださいました。

惨めな罪深い存在である私の様々な罪は、
言葉や文章では表すことができないほどのものです。

お父様、あなたに祈ります。
あなたが、そのような私の罪のせいで、
このイエス様の貴い血を、
御自分の義に釣り合う他の何かと取り替えたりしないように、
お願いします。

あなたの限りない憐れみにふさわしく、
私のうちにおいても、
御子の血が有益な実を結ぶようになさってください。
このためにこそ、あなたは、
永遠の世界にてお定めになった通りに、
愛する御子イエス・キリストが十字架の上で血を流すように、
計らわれたのですから。

それは、御子の血が私に「罪の赦しを与えるもの」となるためです。
また、あなたが、
かつて私のうちに吹き入れてくださった私の霊を再び取り去るために、
私のもとに来られて「戸をたたく時」に、
昼夜を問わず何時どのような時であれ、備えるためでもあります。

お父様、私はあなたにいつもお祈りします。
あなたの愛する御子、イエス・キリストの血と受苦と死のゆえに、
私の霊(私の魂)をあなたの御手にゆだねることをお許しください。

2014年9月10日水曜日

「ルターの祈りの本」 毎晩眠りに就く前にルターが行ったざんげ(その1)


毎晩眠りに就く前にルターが行ったざんげ(その1)
 
  

愛するお父様、いつも私は告白いたします。

あなたが御存知の通り、
私は、内側も外見も、皮膚も毛も身体も魂もすべて含めて、
地獄の永遠の火に焼かれるのが当然であるような生き方をしてきました。

お父様、あなたが御存知の通り、
私の中には、善いものが何もありません。
あたかもそれは、頭に髪の毛一本すら生えていないような有様です
一切は、深淵なる地獄、悪魔の領分に属している状態なのです。

これ以上言葉を連ねる必要があるでしょうか。

しかし、愛するお父様、
私は何度でも繰り返しお祈りいたします。
私がどのような存在であろうとも、
私のことをまじまじと見つめたりしないでください。
そんなことをしたら、
たとえ世界全体が私を擁護する側に立ったとしても、
私は、安全な場所を見出せないまま、滅んでしまうことでしょう。
そのかわりに、
愛する御子イエス・キリストの御顔を見つめてくださるように、
私は祈ります。

キリストは、
あなたが油を注がれたお方であり、
私の仲介者であり、
私の大祭司であり、
私の弁護者であり、
私の救い主であり、
私の贖い主であり、
私に救いの幸いを与えてくださるお方なのですから

私のゆえではなく、御子のゆえに、どうか、私を憐れんでください。

愛する御子イエス・キリストのゆえに、
幸いなる死と喜びの復活とを私に賜りますように。
そして、
この世では身体を守り、
別の世では哀れな魂を助けてくださいますように。

2014年9月5日金曜日

「ルターの祈りの本」 本当の罪の自覚について(その3)


本当の罪の自覚について(その3)



神様、私はあなたの粘土です。
あなたは私を造る陶芸職人です。

あなた御自身が、私を罪深き者であると宣言なさっているのですから、
私は、このあなたの御言葉を受け入れて、
神様を無視してきた今までの言動を自ら認めて告白したいと思います。
そうした悪い行いは、
私の肉の欲望や、さらには生来の性格の中にさえもあらわれています。

どうか、あなたがほめたたえられますように。
それに対して、
私は恥じ入ることになりますように。

どうか、あなたが義であられ命であられますように。
それに対して、
私は他のすべての人と共に罪と死そのものでありますように。

どうか、あなたが最高の善でありますように。
それに対して、
私はすべての人と共に最悪の存在でありますように。

これら上記のことをすべて私は知っており、ここにそれを告白します。

私の理性ではなく、
あなたのくださった約束と戒めこそが、
そう私に示してくれています。
むしろ、私の理性は、
神様を悲しませる行いを隠蔽したり、美化しようとしたりします。

私にとっては、自分のことよりも、
あなたの栄光が保たれ広まっていくことのほうが大切です。

主よ、私は「あなたの罪」です。
あなたは「私の義」です。
それゆえ、私は、恐れず、大いに喜びます。
なぜなら、
「私の罪」は、「あなたの義」よりも、
重くなく、大きくもないからです。

「あなたの義」は、
いつまでも私が罪深い状態に留まることを放ってはおかれません。

主よ、
あなたの御霊が私を「活きた者」として保ってくださる以外には、
手だてがありません。

誠実であられる主なる神様、
私を憐れんでくださった贖い主よ、
私はあなたおひとりに守りを求めています。
ですから、
私が恥ずべき状態に陥るようなことは、決してないのです。
アーメン。