1月11日
御子をもっている者は命をもっています。神の御子をもっていない者は命をもっていません。
(「ヨハネの第1の手紙」5章12節)
使徒ヨハネは、これよりも単純に、明瞭に、力強く語ることができるでしょうか。この教えに疑いを抱いたり挑戦したりする必要があるでしょうか。もしもあなたに神の御子キリストがおられるならば、あなたは自分の永遠の命について確信することができます。使徒ヨハネが言っているように、この証しと宣教とを信じるときに、あなたはキリストをもっています。生きているときも死ぬときも、この神的な永遠の真理を揺るがずに信頼しなさい。
1月12日
あなたがたは神様の神殿であって、あなたがたの中に神様の御霊が住んでおられることを、あなたがたは知らないのですか。
(「コリントの信徒への第1の手紙」3章16節)
聖霊様が私たちの中に住んでおられ、「私たちは聖霊様の神殿である」ことを、疑わずに確信しましょう。神様の御言葉を愛し、聴きたいと思う者、喜んでキリストについて考え、話し、書く者は、それらの働きが、自分たちの意志や理解から生じるのではなく、聖霊様の賜物であることを知りなさい。私たちにそうさせるのは、実は聖霊様なのです。
1月13日
それゆえ、兄弟たちよ、私たちは、肉にしたがって生きるように、肉に対して義務を負っているわけではありません。
(「ローマの信徒への手紙」8章12節)
あなたがたは、今やクリスチャンになり聖霊様をいただいているので、あなたがたの新しい召し、立場、存在は、あなたがたが御霊の導きによって生きていくことを義務付けています。しかし、そうするかしないかを、自分で選ぶことはできません。もしも恵みや御霊を誇るのならば、御霊に従って生きていく義務があり、自分たちの利己的な性質に振り回されつづけてはいけないことを、あなたがたは告白しなければなりません。なぜなら、あなたがたの自己中心的な性質は、罪の中に生きつづけようとするものだからです。
1月14日
(「マタイによる福音書」3章17節)
これが、あの救い主、私たちを罪や死や悪魔や地獄から解放してくださる方です。このことから私たちは、どうすれば神様のみもとに行けるかを知ります。愛する御子キリストを通してのみ、私たちもまた、天のお父様の愛する子供になるのです。御子キリストは天のお父様のみもとに座っておられます。天のお父様は御子を見つめ、御子を抜きにしては誰に対しても好意を示されません。天のお父様の御心に適うことがあるとすれば、それは御子を通してそのようになるのです。こういうわけですから、天のお父様のみもとへ行きたい人は、この愛する御子にしっかりとしがみつき、御子におんぶしていただかなければなりません。
1月15日
それからイエス様は、水をたらいへと流し込み[2]、弟子たちの足を洗っては、腰に巻いてあった手ぬぐいで拭き始められました[3]。こうしてシモン・ペテロのところへ来られると[4]、ペテロはイエス様にこう言いました、「主よ、あなたが私の足をお洗いになるのですか」。イエス様は彼に答えて言われました。「私のしていることは今あなたにはわからないが、後でわかるようになります[5]」。
(「ヨハネによる福音書」13章5~7節)
私たちの主なる神様は、テキストを後ろのページの方から印刷する製本者のようなお方です。私たちは神様がテキストを印刷するのを見て知っていますが、それを読むことはできません。私たちは、完成した出版物を天国ではじめて見ることになります。ですから、忍耐強く待ちましょう!テキストはこの世で印刷されますが、それが読まれるのは天国においてです。