2010年11月19日金曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」1月11日~15日

111

御子をもっている者は命をもっています。神の御子をもっていない者は命をもっていません
ヨハネの第1の手紙512節)

使徒ヨハネは、これよりも単純に、明瞭に、力強く語ることができるでしょうこの教えに疑いを抱いたり挑戦したりする必要があるでしょうか。もしもあなた神の御子キリストがおられるならば、あなたは自分の永遠の命について確信することができます。使徒ヨハネが言っているように、この証しと宣教とを信じるときに、あなたはキリストをもっています。生きているときも死ぬときもこの神的な永遠の真理揺るがずに信頼しなさい。



112

あなたがたは神様の神殿であって、あなたがたの中に神様の御霊が住んでおられることを、あなたがたは知らないのですか。
コリントの信徒への第1の手紙316節)

聖霊様が私たちの中に住んでおられ、私たちは聖霊様の神殿であることを疑わずに確信しましょう。神様の御言葉を愛し聴きたいと思う者、喜んでキリストについて考え話し書く者は、それらの働きが自分たちの意志や理解から生じるのではなく、聖霊様の賜物であることを知りなさい。私たちにそうさせるのは、実は聖霊様なので



113

それゆえ、兄弟たちよ、私たちは肉にしたがって生きるように肉に対して義務を負っているわけではありません
ローマの信徒への手紙812節)

あなたがたクリスチャンになり聖霊様をいただいているので、あなたがたの新しい召、立場、存在はあなたがたが御霊の導きによって生きていくことを義務付けています。しかし、そうするかしないかを自分で選ぶことはできません。もしも恵みや御霊を誇るのならば、御霊に従って生きていく義務があり、自分たちの利己的な性質に振り回されつづけてはいけないことを、あなたがたは告白しなければなりません。なぜなら、あなたがたの自己中心的な性質は罪の中に生きつづけようとするものだからで



114

そして、ごらんなさい、天からの声がこう言っていまし「これは私の愛する息子、私の心に適った[1]者で
マタイによる福音書317節)

これがあの救い主、私たちを罪や死や悪魔や地獄から解放してくださる方です。このことから私たちは、どうすれば神様のみもとに行けるかを知ります。愛する御子キリストを通してのみ、私たちもまた、天のお父様の愛する子供になるので。御子キリストは天のお父様のみもとに座っておられます。天のお父様は御子を見つめ、御子を抜きにしては誰に対しても好意を示されません。天のお父様の御心に適うことがあるとすれば、それは御子を通してそのようになるのです。こういうわけですから、天のお父様のみもとへ行きたいは、この愛する御子にしっかりとしがみつき、御子におんぶしていただかなければなりません



115

それからイエス様は水をたらいへと流し込み[2]、弟子たちの足を洗っては、腰に巻いてあった手ぬぐいで拭き始められまし[3]。こうしてシモン・ペテロのところへ来られると[4]、ペテロはイエス様にこう言いまし「主よ、あなたが私の足をお洗いになるのですか」イエス様は彼に答えて言われました。「私のしていることは今あなたにはわからないが、後でわかるようになります[5]
ヨハネによる福音書1357節)

私たちの主なる神様は、テキストを後ろのページの方から印刷する製本者のようなお方で。私たちは神様がテキストを印刷を見て知っていますが、それを読むことできません。私たちは完成した出版物を天国ではじめて見ることになりますですから、忍耐強く待ちましょう!テキストはこの世で印刷されますが、それが読まれるのは天国においてです


[1] 直説法アオリスト。
[2] 直説法現在形。歴史的用法。
[3] 直説法アオリスト
[4] 直説法現在形
[5] 中動相直説法未来形単数2格。未来における事実を表す。