2010年11月19日金曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」1月16日~20日

116

あなたは平和の中にあなたの父たちのところへ行くことになります。そして高齢に達した後、葬られることになります
創世記1515節)

「自分の父たちのところへ行く」ということは何もないところへ行ったり消え失せたりすることではありません。これはこの聖書の箇所が「父たち」についてつまり「同じ信仰、同じ希望、同じ苦難、同じ言葉をもっていた人々」について語っているということからもはっきりします。私たちは自分たちの本当の父たち同じ「祖国」の人たちのところへ行くので。私たちは悪霊や敵を置き去りにして「父たち」のところへ行けるのです。



117

主なる神様は人に命じて言われまし「あなたは園のすべての木から自由に取って食べてもかまいません[1]。しかし善悪についての知識を与える木からは取って食べてはなりません。それを取って食べる日、あなたは必ず[2]死ぬことになります
創世記21617節)

この命令を破ることによってアダムは私たち皆を罪に陥れました。私たちはアダムと血と肉でつながっているからで。アダムに起こったことは私たちにも起こります。神様の御決定により私たちは皆ひとりの人間の子孫として生まれ、そのゆえまた彼の「遺産」も受け継いでいるのです。アダムの行いのゆえにアダムに降りかかった呪いは私たちにも降りかかっています



118

しかし恵みの賜物は罪過とは比較になりません。もしもひとりの人の罪過のために多くの人が死んだのであれば、まして神様の恵みとひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とはもっと豊かに多くの人々を満たしたはずで
(ローマの信徒への手紙 515節)

アダムはすべての罪や悲惨や死の源であり、私たちに遺産として罪に加えてさらに罪を与えています。一方、キリストはすべての恵みや命や真理の源であり私たちにあふれるほど豊かにこれらすべてを、恵みに加えてさらに恵みを与えてくださっています



119

言は肉となり私たちの中に住まわれました。私たちはその栄光をみました。それはちょうど御父からひとり子への栄光と同じであり[3]、恵みと真理とに満ちていました。
ヨハネによる福音書114節)

私たちの主イエス・キリストは、あらゆる恵みと真理と義と栄光と命の源泉です。この泉は、たとえそこからこの世の人が皆天使になれるほど多くの恵みと真理を汲み上げとしても、一滴たりとも減ってしまうことがないほど測り知れず、尽きず、底知れません。この泉には恵みが常に滾々と満ち溢れています。キリストの恵みを味わいたいそれをキリスト御自身から探しなさい。この泉を空っぽになるまで汲み尽くすことは決してできません。この泉は決して枯れることがなく、いつでも溢れるほどに一杯なのです。



120

私たちは皆、この方の充溢の中から、恵みに加えてさらに恵みを受けました。
ヨハネによる福音書116節)

私たちは何を受け取るのでしょうか恵みに加えてさらに恵みをいただくのです。ヨハネはふたつの恵みについて語っています。「キリストの恵み」はすべての恵みの究めがたい源泉です。ヨハネはそれを「この方の充溢と呼んでいます。「御自身の恵み」のゆえにキリストは私たちに「私たちの恵み」を賜ります。私たちはそれをキリストからいただいて、神様のお目に適う、すてきな存在になるので


[1] Impf with modal nuance (can/may), which is strengthened by the inf. abs. 
[2] prepositive inf. abs. : affirmation (Muraoka 422).
[3] ως: 「~と同様に」という意味。