1月6日
(「イザヤ書」60章1節)
この御言葉の箇所は、まるで光輪や栄光や誇りや知恵について語っているかのようです。福音は、神様の栄光でもあり私たちの光でもあります。福音は私たちの光です。私たちは福音を通して、神様や自分やすべてについて知るようになるからです。福音は神様の栄光です。福音を通して、「神様はどんなお方であるか」について世界中で宣教と告知がなされ、神様とそのみわざとが畏敬され、感謝されるからです。
1月7日
もしも私たちの福音が覆い隠されているならば、それは滅ぶ者たちにとって覆い隠されているのです。彼らにあっては、この世の神が神様のかたちであられるキリストの栄光の福音の輝きを見ないように、信じない者たちの思いを曇らせてしまったのです。(「コリントの信徒への第二の手紙」4章3節~4節)
この世は、神様の御言葉を無価値なものとみなして迫害するとき、かたくなになり判断力を失って、その堕落の原因をすべて愛すべき福音のせいにします。しかし、神様に感謝します!、実はこの福音のみがこの世にまだ残っている「よいもの」すべてを支えてくださっているのです。それなのに福音は、悪魔やその手下どものしわざについて責任を追及されています。
1月8日
神様は、神様を愛する人々、御計画に従って召された人々と共に働いてくださり、すべてを一番よい方向へと導いてくださることを私たちは知っています。(「ローマの信徒への手紙」8章28節)
神様は私たちに危険を及ぼそうとするものすべてを逆手にとって私たちに仕えさせ、私たちの益となるように変えてしまう大家です。私たちを傷つけようとしている者たちは、逆に私たちのことを健康にしてしまいます。私たちを誘惑したり裁く者たちは、私たちがより熱心に祈ってより豊かに祈りの答えを神様からいただけるようになるために、私たちの信仰と希望とを強めてしまいます。
1月9日
(「コリントの信徒への第二の手紙」5章21節)
十字架につけられたキリストを賛美し、自分自身には失望し、このように言うようにしなさい、「主イエス様、あなたは私の義です。私はあなたの罪です。あなたは本来私に属するはずのものを私から取り去り、本来あなたに属するはずのものを私に与えてくださいました。あなたは本来の御自分とは違う存在になり、代わりに私を本来の私とは違う存在にしてくださいました」。
1月10日
(「コリントの信徒への第二の手紙」1章21~22節)
私たちひとりひとりが「自分は神様の恵みに与っており、自分がその行いも含めて神様に認証していただいている」と確信できるよう熱心に努めましょう。また次のように心から言えるようになりましょう、「私は神様の恵みに与っていることを知っている、私には聖霊様がいてくださる、神様の目に私は素晴らしい、自分の業績や行いのおかげではなく、キリストのゆえに」。