2010年11月16日火曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」1月6日~10日


16

立ち上がりなさい、光り輝きなさい[1]。あなたの光が来られ[2]、主の栄光があなたの上に昇ったのだから。
イザヤ書601節)

この御言葉の箇所は、まるで光輪や栄光や誇りや知恵について語っているかのようで。福音は神様の栄光でもあり私たちの光でもあります。福音は私たちの光です。私たちは福音を通して神様や自分やすべてについて知るようになるからです。福音は神様の栄光で。福音を通して、「神様どんなお方であるか」について世界中で宣教告知がなされ、神様とそのみわざとが畏敬され感謝されるからで



17

もしも私たちの福音が覆い隠されているならば、それは滅ぶ者たちにとって覆い隠されているので。彼らにあってはこの世の神が神様のかたちであられるキリストの栄光の福音の輝きを見ないように、信じない者たちの思いを曇らせてしまったのです。コリントの信徒への第の手紙43節~4節)

この世は、神様の御言葉を無価値なものとみなし迫害するとき、かたくなになり判断力を失って、その堕落の原因をすべて愛すべき福音のせいにします。しかし神様に感謝します!、実はこの福音のみこの世にまだ残っている「よもの」すべてを支えてくださっているのですそれなのに福音は悪魔やその手下どものしわざについて責任を追及されています



18

神様は、神様を愛する人々、御計画に従って召された人々と共に働いてくださりすべてを一番よい方向へと導いてくださることを私たちは知っています。(ローマの信徒への手紙828

神様は私たちに危険を及ぼそうとするものすべてを逆手にとって私たちに仕えさせ、私たちの益となるように変えてしまう大家で。私たちを傷つけようとしているたちは、逆に私たちのことを健康にしてしまいます。私たちを誘惑したり裁く者たちは、私たちがより熱心に祈ってより豊かに祈りの答えを神様からいただけるようになるために、私たちの信仰と希望とを強めてしまいます



19

神様は、私たちをキリストにあって義とする[3]ために、罪を知らなかった[4]キリストを私たちのために[5]罪となしてくださいました
コリントの信徒への第の手紙521節)

十字架につけられたキリストを賛美し、自分自身に失望し、このように言うようにしなさい、「主イエス様、あなたは私の義です。私はあなたの罪です。あなたは本来私に属するはずのものを私から取り去り、本来あなたに属するはずのものを私に与えてくださいました。あなたは本来の御自分とは違う存在になり、代わりに私を本来の私とは違う存在にしてくださいました」



110

私たちをあなたたちと共に強く支えつづ[6]、私たちに油を注いでくださった[7]方は神様で。また神様は私たちに印を押し[8]、聖霊様という保証を私たちの心に与えてくださっています[9]
コリントの信徒への第の手紙12122節)

私たちひとりひとりが「自分神様の恵みに与っており、自分がその行いも含めて神様に認証していただいている」と確信できるよう熱心に努めましょう。また次のように心から言えるようになりましょう、「私は神様の恵みに与っていることを知っている、私には聖霊様がいてくださる、神様の目に私は素晴らしい、自分の業績や行いのおかげではなく、キリストのゆえに」


[1] 神様の民」をさす女性形。
[2] 完了形だが、おそらく未来の事柄を示す「預言的用法」ではない。
[3] 接続法アオリスト。
[4] アオリスト分詞。
[5] 前置詞+属格
[6] 現在分詞。
[7] アオリスト分詞
[8] アオリスト分詞
[9] 現在分詞