2011年6月1日水曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」12月21日~25日

  
1221

はじめから聴いたことがあなたがたのうちに留まるようにしなさい。もしもあなたがたのうちにはじめから聴いたことが留まっていれば、あなたがたは御子と御父とのうちに留まることになります
ヨハネの第の手紙224節)

これからはさらに多くの異端の霊があらわれることでしょう、それらはキリストを神様であるとも処女マリアの子であるも認めないほどひどいものかもしれません。悪魔はひとつの策略が失敗するとかならず次の策略をひねりだすものだからで。はじめからそうだったし、これからもそれは同じでしょう。それは私たちが神様への畏れをもって目を天国へと向け、神様から助けを求め、神様が私たちの幼い信仰を育て、御自分の力によって弱い器である私たを守ってくださるようにお願いするためで



1222

父祖たちも彼ら(ユダヤ人たち)に属し、肉によればキリストもまた彼らの中から出生なさいました万物の上におられる神様は永遠に感謝を受けられるべきお方です。アーメン。
ローマの信徒への手紙95節)

この救いの幸せに満ちた教えを私たちは理性によっては理解することができません。私たちは、聖書が言っているように、主キリストはまことの神様であり神的な本質において御父と同じ方であることを信じなければなりません。もしもキリストがまことの神様ではなく、御父が永遠においてお産みになった御子でもなく、すべての被造物の造り主でもないとすれば、私たちに救いはありません。



1223日 

しかし時が満ちて神様は御子を女から律法の下に生まれた方として、お遣わしになりました。それは律法の下にある者を購い出すためであり、私たちが(神様の)子としての資格をいただくようになるためでた。
ガラテアの信徒への手紙445節)

もしもあなたにとって自分が神様の子供であることが信じられないほど大きなことであると感じられるなら、愛する友よ、他でもないあなたが神様の子供になるために、キリストはこの世にられて、女から律法の下生まれてくださったことに思い起こしなさい。神様はこれよりも偉大なことを行うことがおできになったでしょうか?あなたの魂は自由に解き放たれて神様とキリストのことを喜ばないでしょうか?あなたがうれしそうに神様の愛への賛美を歌っていられなくするような苦難や不幸などが、まだありうるのでしょうか



1224

なさい、処女がみごもって男の子を産むでしょう。そしてその名はインマヌエルと呼ばれるでしょう。これは「神様は私たちと共にいてくださる」という意味で
マタイによる福音書123節)

この御言葉に基づいて、偉大なる神様が御心の中でどのようにあなたに接してくださっているか、考えてごらんなさい。あなたの悲惨さを憐れみながら、あなた自身の功績とは無関係に、まだあなたが罪の中にいるときに、神様はただ憐れみにより、あなたに御子をお遣わしになり、処女マリアの懐に置いて、あなたにこう言われているので、「見なさい、これが、あなたのために生まれ、あなたに与えら、あなたをそのすべての罪から解き放つ、私の愛する息子です。彼はあなたの助け、砦、救いなの」。



1225

そして御言葉は肉となり、私たちのうちに宿りました。
ヨハネによる福音書114節より)

もしもあなたがでもそんなことはできっこないと言うなら、私は「まさそのとおり」、と答えます。神様であ御言葉が肉(つまり人間)になったということは、理性や人間の知恵やあなた自身の考えに合致するものではありません。しかし、それは神様の御言葉と信仰に沿っているの。「今日あなたたちのためにダヴィデの町で救い主がお生まれになりました。この方は主キリストで」(ルカによる福音書211節)と愛らしい天使たちが歌ったということを、あなたも聞いたことがあるではないでしょうか。(・・・)神様は私たちの理解を超えたやり方で次のふたつのことをひとつにすることができました。すなわち、この人こそはあの偉大なる師であり、永遠に御父と同じ神的本質を持っておられるお方ということで。イエス様御自身がフィリポにこう言われているとおりで、「私を見た者は父を見たのです」(ヨハネによる福音書149節)。