12月21日
はじめから聴いたことがあなたがたのうちに留まるようにしなさい。もしもあなたがたのうちにはじめから聴いたことが留まっていれば、あなたがたは御子と御父とのうちに留まることになります。
(「ヨハネの第一の手紙」2章24節)
これからはさらに多くの異端の霊があらわれることでしょう、それらはキリストを神様であるとも処女マリアの子であるとも認めないほどひどいものかもしれません。悪魔はひとつの策略が失敗すると、かならず次の策略をひねりだすものだからです。はじめからそうだったし、これからもそれは同じでしょう。それは、私たちが神様への畏れをもって目を天国へと向け、神様から助けを求め、神様が私たちの幼い信仰を育て、御自分の力によって弱い器である私たちを守ってくださるようにお願いするためです。
12月22日
父祖たちも彼ら(ユダヤ人たち)に属し、肉によればキリストもまた彼らの中から出生なさいました。万物の上におられる神様は永遠に感謝を受けられるべきお方です。アーメン。
(「ローマの信徒への手紙」9章5節)
この救いの幸せに満ちた教えを、私たちは理性によっては理解することができません。私たちは、聖書が言っているように、主キリストはまことの神様であり、神的な本質において御父と同じ方であることを信じなければなりません。もしもキリストがまことの神様ではなく、御父が永遠においてお産みになった御子でもなく、すべての被造物の造り主でもないとすれば、私たちに救いはありません。
12月23日
しかし、時が満ちて神様は、御子を女から、律法の下に生まれた方として、お遣わしになりました。それは、律法の下にある者を購い出すためであり、私たちが(神様の)子としての資格をいただくようになるためでした。
(「ガラテアの信徒への手紙」4章4~5節)
もしもあなたにとって自分が神様の子供であることが、信じられないほど大きなことであると感じられるなら、愛する友よ、他でもないあなたが神様の子供になるために、キリストはこの世に来られて、女から、律法の下に生まれてくださったことに思い起こしなさい。神様は、これよりも偉大なことを行うことがおできになったでしょうか?あなたの魂は自由に解き放たれて、神様とキリストのこととを喜ばないでしょうか?あなたがうれしそうに神様の愛への賛美を歌っていられなくするような苦難や不幸などが、まだありうるのでしょうか?
12月24日
見なさい、処女がみごもって男の子を産むでしょう。そしてその名はインマヌエルと呼ばれるでしょう。これは「神様は私たちと共にいてくださる」という意味です。
(「マタイによる福音書」1章23節)
この御言葉に基づいて、偉大なる神様が御心の中で、どのようにあなたに接してくださっているか、考えてごらんなさい。あなたの悲惨さを憐れみながら、あなた自身の功績とは無関係に、まだあなたが罪の中にいるときに、神様はただ憐れみにより、あなたに御子をお遣わしになり、処女マリアの懐に置いて、あなたにこう言われているのです、「見なさい、これが、あなたのために生まれ、あなたに与えら、あなたをそのすべての罪から解き放つ、私の愛する息子です。彼はあなたの助け、砦、救いなのです」。
12月25日
そして御言葉は肉となり、私たちのうちに宿りました。
(「ヨハネによる福音書」1章14節より)
もしもあなたが、「でもそんなことはできっこない」、と言うなら、私は、「まさにそのとおり」、と答えます。神様である御言葉が肉(つまり人間)になった、ということは、理性や人間の知恵やあなた自身の考えに合致するものではありません。しかし、それは神様の御言葉と信仰に沿っているのです。「今日あなたたちのためにダヴィデの町で救い主がお生まれになりました。この方は主キリストです」(「ルカによる福音書」2章11節)、と愛らしい天使たちが歌ったということを、あなたも聞いたことがあるではないでしょうか。(・・・)神様は私たちの理解を超えたやり方で、次のふたつのことをひとつにすることができました。すなわち、この人こそはあの偉大なる師であり、永遠に御父と同じ神的本質を持っておられるお方だということです。イエス様御自身がフィリポにこう言われているとおりです、「私を見た者は父を見たのです」(「ヨハネによる福音書」14章9節)。