「イエス様の御名による祈り」
よくよくあなたがたに言っておきます。
あなたがたが私の名によって御父様に求めるなら、
御父様はあなたがたに与えてくださることでしょう。
(「ヨハネによる福音書」16章23節より)
弟子たちへのお別れの挨拶のときに
イエス様が何度も繰り返し教えられたことがあります。
弟子たちには極めて大きな特権がある、ということです。
弟子たちはイエス様の御名によって願い求めることができましたし、
今もイエス様を信じる人々は
どのようなことであれ神様の御前に携えていくことができます。
なぜなら、
神様はキリストのみわざのもたらした報いのゆえに彼らにそのすべての罪を赦し、
彼らを御自分の愛する子どもとみなしてくださるからです。
イエス様は弟子たちに教えたことと同じことを
私たちに対しても幾度となく教えてくださいます。
私たちの祈りは
本来ならば今よりもっと頻繁にもっと熱心になされるべきものです。
私たちは求めないから祈ることができないのです。
この貴重な特権をもっと忠実に用いるように私たちは何度も繰り返し促されます。
祈りすぎることは決してないからです。
神様に喜ばれる正しい祈りはイエス様の御名を通してなされます。
祈りかたにはさまざまなやりかたがあってもかまいません。
イエス様が弟子たちに教えてくださった「主の祈り」からもわかるように、
いつも「イエス様の御名によって」という言葉を使わなければならない
ということもありません。
大切なのは、
天の父なる神様が私たちの罪を思い起こさず、
またそれらの罪のゆえに私たちの祈りを却下なさらないように、
そしてイエス様のみわざのもたらす報いのゆえに
私たちがイエス様の中で守られつつ祈る姿勢を
私たちに与えてくださるように祈ることです。
(祈り)主よ、
私が御心通りに正しく祈れるように、
永遠に朽ちないものを願い求めるように、
勇気ある信仰をもてるように、
イエス様のゆえに天の御国で祈りが聴かれるようになさってください。
アーメン。
(関連聖句)「マタイによる福音書」6章5~13節