神様の隠された知恵
「コロサイの信徒への手紙」2章3節のルターの説明(その3)
神様の御言葉を用いる第二のやり方は、次の通りです。
義とされた信仰者は、
御言葉を表面的に用いるだけではなく、
ちゃんとその意味を理解します。
なぜなら、主の奥義が彼らに対して啓示されているからです。
キリストは、
「私たちはその人のもとに来て、そこに住むでしょう」、
と言われます(「ヨハネによる福音書」14章23節より)。
三位一体なる主は、
そのような魂の持ち主に聖書の奥義を明らかにし、
彼らがそれらを理解できるようにしてくださいます。
神様は、私たちを死なせずに、活きる者となさいます。
神様は、私たちを裁かずに、救いのさいわいを賜ります。
神様は、嘆き打ち砕かれている心を憎んだり見捨てたりはせず、
愛を込めて配慮されます。
なぜなら、神様は、
命と救いと平和と喜びと慰めの神様だからです。
「神様がキリストを通して恵みを示そうとされていることを、
苦しみの最中でも信じ続ける心こそ、
神様が喜ばれる最上の捧げ物です」、
と預言者は語ります。
そして、心が嘆き悲しんでいる人皆を慰めます。
私たちがこうした心を神様に捧げるようになるために、
主はよく疫病、飢饉、戦争、その他の不幸を送られます。
それは、
私たちがより敏感に神様を捜し求め、
不幸の時にも幸福の時にも
神様から助けを願うようになるためです。