「活きた水」
彼(ヤコブ)が見ると、なんと野に井戸があったではありませんか。
(「創世記」29章2節より)
清涼な水のありがたみを知っているのは喉が渇いている者だけです。
ハランへの旅路で疲れ果て喉が渇いていたヤコブは井戸を見つけ、
その水を飲んで元気を取り戻すことができました。
清涼な水を感謝するべきです。
それがいつでも手に入るとは限らないからです。
しかし、このような水と比べて、
主の教会で神様の純粋な御言葉から湧き出る「活ける水」のほうを
私たちはより深く感謝するべきなのです。
信仰によってイエス様に避け所を求めるとき、
イエス様は「命の水」をくださいます。
それはイエス様の御名と血における罪の赦しです。
私たちキリスト信仰者には、
聖なる洗礼と主の聖餐を通して、
この活ける水、命と救いの水が分配されます。
「あなたがたは喜びをもって救いの井戸から水を汲みます」
(「イザヤ書」12章3節)。
「さあ、渇いている者は皆、水のもとに来なさい」
(「イザヤ書」55章1節より)。
「御霊も花嫁も言いました、「来なさい」。
また、聴く者も「来なさい」と言いなさい。
渇いている者はここに来なさい。
命の水を欲する者は価なしにそれを受け取りなさい」
(「ヨハネの黙示録」22章17節)。
泉から水が湧き出る井戸だけが「よい井戸」なのです。
その井戸からは新鮮な水がなくなることがありません。
神様の恵みとはまさにそういうものです。
(祈り)聖霊様、
私を命の水の新鮮な泉へのもとへ連れて行ってください。
私の魂の焼け付くような渇きを癒す水を
私がいつも飲めるように助けてください。
明快に溌剌と私が渇いている人たちを皆、
この水のもとに招くことができるようにどうか助けてください。
アーメン。
(関連聖句)「創世記」29章1~4節