2011年1月19日水曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」4月21日~25日

 
421

私は神の熱情をもってあなたたちを熱愛しています。私はあなたたちを聖い乙女としてただひとりの男子、キリストにささげるために、婚約させたので
コリントの信徒への第の手紙112節)

日々花嫁をキリストのために準備させキリストへと導く使徒の職務は、求婚者や婚約者たちの職務とはまったく異なる何かで



422

夫たちよ、キリストが教会を愛し、御自分を彼らのために差し出されたように、あなたたちは妻たちを愛しなさい。キリストがそうされたのは、御言葉における水の洗いによって清め聖別し、教会を、輝きにみちた、しみやしわやその種のものが一切ない聖なる申し分のないものとして、御自身の前に据えなさるためです。
エフェソの信徒への手紙52527節)

キリストは言われます、「私の花嫁にかまわうな。もしも彼女に落ち度があれば私はそれをなおしたい。もしも彼女が十分に美しくもきれいでもないなら、私は彼女を美しく飾り清めます。もしも彼女があなたの気に入らない場合であっても、私が彼女を選びきれいに洗ったから、私は彼女が気に入っているのです。たとえ彼女がまだ罪や死や病気で苦しんでいても、私には義と命とあらゆる永遠の宝物があり、それらによって私は彼女を着飾ります



423

自分自身[1]を憎んだは今までひとりもいませんそれとは逆に、人は、キリストが教会になさっているのと同じように、自分に栄養を与え暖めるものです。私たちはキリストのからだの一部なのです。(中略)この奥義は偉大です。私はキリストと教会について語っているので
エフェソの信徒への手紙52930,32節)

キリストは私と共にひとつのからだであり、ちょうど花婿が花嫁にするように、何をお持ちか何をなさるか、私に知らせてくださいます。夫婦はすべてをからだを、栄光を、持ち物を、共通のものと見なしています



424

私は、彼らのためばかりではなく、彼らの言葉を通して私を信じている人たちのためにもお願いします。それは、ちょうど、父よ、あなたが私のうちにおられ、また、私があなたのうちにいるように、皆がひとつであるためであり、彼らもまた私たちのうちにいるためであり、あなたが私を派遣されたことをこの世が信じるためです。あなたが私に与えてくださった栄光を、私もまた彼らに与えましたそれは、私たちがひとつであるように、彼らもひとつであるためです。
ヨハネによる福音書172022節)

私は何者か」とか「あなたは何者かという問題をめぐる戦いが止む時、すなわち、私の義でもあなたの義でもなキリストの義のみ神様受け入れられる時自然に平和が訪れます。なぜなら、私たちは皆、恵みが必要な罪人であるからで。キリストにあってすべての人はひとつであり、誰も他の人の上に立つ理由はありません



425

イエスは答えて彼に言われまし「もしも誰かが私を愛するなら、私の言葉を守るでしょう。そして私の父は彼を愛し、私たちは彼のもとに来て、彼と共に住むでしょう[2]
ヨハネによる福音書1423節)

この地上に生きている貧しく惨めな私たち人間が神様の住まい庭、楽園天国(!)にさえなりうるということほど、偉大な栄光と光輝があるでしょうか!これは、最上の、慰めに満ちた、素晴らしい、貧しく惨めな私たちに与えられた(ペテロが言っているように)最高にして最大の贈り物のうちのひとつで。それは私たちが神様の本質にあずかって「上流階級に所属するため、また神様が私たちをキリストを通して愛してくださるだけでも私たちがキリストの恵みや好意をいただくだけでもなく、私たちがキリストを自分のものとしキリスト御自身が私たちのうちに住んでくださるために与えられているのです


[1] 直訳は「自分の肉」。
[2] 直訳は「彼のいるところを私たちの住まいとするでしょうこの文章の動詞は3つとも未来形で