3月26日
私たちには神様の家を治める大祭司がおられるのだから、私たちは、真心をもち、信仰の完全な確信のうちに、心からやましい良心をすすぎおとされ、清い水でからだを洗っていただき、御前に近づこうではありませんか。
(「ヘブライの信徒への手紙」10章21~22節)
「すすぎ」は、キリストが御自分の血を流され、神様の前で「愛する神様、この罪人のために流した私の血が見えますよね」と言われたことを宣べ伝えています。もしもこのことを信じるなら、あなたもすすがれているのです。
3月27日
彼らが食べ終わった後[1]、イエス様は、パンを取り、祝福して裂き、そして弟子たちに与えて言われました[2]、「取りなさい、食べなさい[3]。これは私のからだです」。また、杯を取って祝福し、彼らに与えて言われました、「これから皆飲みなさい。なぜならこれは、罪の赦しを得させるために多くの人のために流される[4]私の契約の血ですから」。
(「マタイによる福音書」26章26~28節)
私があなたたちに伝承したことは、私が主から伝承されたものです。すなわち、主イエスは渡される夜、パンを取り祝福して裂き、そして言われました、「これはあなたたちのための私のからだです。私を覚えるためにこれを行いなさい」。同じようにして食事の後、杯を取り、言われました、「この杯は私の血における新しい契約です。飲む度ごとに私を覚えるためにこれを行いなさい」。
(「コリントの信徒への第一の手紙」11章23~25節)
「聖壇のサクラメント」とは何でしょうか。それは、パンとぶどう酒のうちに含まれているものとして存在している、主キリストのまことの体とまことの血です。それらは、キリストが御言葉によって私たちが食べ飲むようにと命じられた、パンとぶどう酒のうちにあります。前に洗礼について話したときに、それは普通の水ではないのだ、と私たちは教えました。同じように、聖餐式はパンとぶどう酒ですが、普通の食事のパンとぶどう酒ではなく、神様の御言葉に結ばれ一体となったパンとぶどう酒なのです。御言葉がこのサクラメントを生み出すのであり、普通のパンとぶどう酒とは異なるもの、キリストの体と血、にするのです。「御言葉が物質と一体化するときに、サクラメントが生じます」。[5]
3月28日
イエス様は彼らに言われました、「まことにまことに私はあなたたちに言います。もしもあなたたちが人の子の肉を食べず、その血を飲まなければ、あなたたちは自分たちのうちに命をもっていません」。
(「ヨハネによる福音書」6章53節)
あなたは、私の肉を食べ私の血を飲むか、私の命と私の救いを失うか、どちらかを選ばなければなりません。ここで明瞭にそう書かれているのです。この血や肉が元来存在していない場所や、無視され軽んじられている場所では、死のみが支配している、と理解するほかありません。主はこれを「まことにまことに」という誓いの言葉によって確かなものとされました。主が意味されているのは、「私の肉を食べ、私の血を飲みなさい。さもないと、あなたは自分の命を失ってしまい、救われません」ということです。
3月29日
(「ヨハネによる福音書」6章35節)
朝起きたとき、昼間活動しているとき、またこの世を去るとき、どこに避け所を求めることができるか、人が皆知るために、この御言葉は金文字で、それどころか活きている文字で書かれるべきです。人は皆、自分自身に次のように言いきかせる大切な技術を学ぶべきです、「ここに、つまりキリストのところに、私の魂は憩うことができる。だから、私はもう決して飢え渇く必要がない」。
3月30日
(「マタイによる福音書」9章12節)
ここでキリストが意味しておられるのは、罪や、死の恐怖や、肉と悪魔の誘惑に苦しめられ圧迫されている人々のことです。もしもあなたの気持ちが重苦しく、自分が弱っていると感じるときには、主に信頼して聖餐式に参加し、聖餐があなたを元気付け慰め強めてくださるようにしなさい。もしもあなたが先に述べたすべてのものから解放された汚れのない立派な者として聖餐式に参加できるような時の到来を待とうものなら、永久に待ち続けなければならなくなるのは確実です。
3月31日
人は自分自身を吟味しなさい。それから、こうしてパンを食べ杯から飲みなさい。(「コリントの信徒への第一の手紙」11章28節)
自分を正しく吟味する者は、他の人々をその罪のゆえに裁いたりせず、それを忘れ去る用意ができています。彼は、自分が多くの罪や過ちによって苦しめられている身であることを知っており、それゆえキリストの恵みと助けとを強く待ち望んでいます。これこそが、最も素晴らしく最もふさわしい、聖餐式に向けて自分を整えるやり方なのです。アウグスティヌスもこう言っています、「この平和を求めているのは、飢えている者や空ろな魂だけであり、満足しきった傲慢な者はそれを必要としていません」。