2011年1月5日水曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」3月26日~31日

326

私たちには神様の家を治める大祭司がおられるのだから、私たちは、真心をもち信仰の完全な確信のうちに、心からやましい良心をすすぎおとされ、清い水でからだを洗っていただき、御前に近づこうではありませんか。
ヘブライの信徒への手紙102122節)

すすぎは、キリストが御自分の血を流され、神様の前で「愛する神様、この罪人のために流した私の血が見えますよね」と言われたことを宣べ伝えています。もしもこのことを信じるなら、あなたもすすがれているので



327

彼らが食べ終わった後[1]、イエス様は、パンを取り、祝福して裂き、そして弟子たちに与えて言われまし[2]「取りなさい、食べなさい[3]。これは私のからだでまた、杯を取って祝福し、彼らに与えて言われまし「これから皆飲みなさい。なぜならこれは、罪の赦しを得させるために多くの人のために流される[4]私の契約の血ですから
マタイによる福音書262628節)

私があなたたちに伝承したことは、私が主から伝承されたものです。すなわち、主イエスは渡される夜、パンを取り祝福して裂き、そして言われまし「これはあなたたちのための私のからだで。私を覚えるためにこれを行いなさい」同じようにして食事の後、杯を取り、言われまし「この杯は私の血における新しい契約で。飲む度ごとに私を覚えるためにこれを行いなさい」
コリントの信徒への第の手紙112325節)

聖壇のサクラメントとは何でしょうか。それは、パンとぶどう酒のうちに含まれているものとして存在している、主キリストのまことの体まことの血です。それらは、キリストが御言葉によって私たちが食べ飲むようにと命じられた、パンとぶどう酒のうちにあります。前に洗礼について話したときに、それは普通の水ではないのだ、と私たちは教えました。同じように聖餐式はパンとぶどう酒でが、普通の食事パンとぶどう酒ではなく、神様の御言葉に結ばれ一体となったパンとぶどう酒なの。御言葉がこのサクラメント生み出すのであり、普通のパンとぶどう酒とは異なるもの、キリストのと血、にするので。「御言葉が物質と一体化するときに、サクラメントが生じます[5]



328

イエスは彼らに言われまし「まことにまことに私はあなたたちに言います。もしもあなたたちが人の子の肉を食べず、その血を飲まなければ、あなたたちは自分たちのうちに命をもっていません
ヨハネによる福音書653節)

あなたは、私の肉を食べ私の血を飲むか、私の命と私の救いを失うか、どちらかを選ばなければなりません。ここで明瞭にそう書かれているのです。この血や肉が元来存在していない場所や、無視され軽んじられている場所では、死のみが支配している理解するほかありません。主はこれを「まことにまことに」という誓いの言葉によって確かなものとされました。主が意味されているのは、「私の肉を食べ、私の血を飲みなさい。さもないとあなたは自分の命を失ってしまい、救われません」ということで



329

イエス様は彼らに言われまし「私は命のパンで。私のところに来る者は決して飢えず[6]、私を信じる者は決して渇くことがないでしょう[7]
ヨハネによる福音書635節)

朝起きたとき、昼間活動しているとき、またこの世を去るとき、どこに避け所を求めることができるか、知るために、この言葉は金文字で、それどころか活きている文字で書かれるべきで人は皆、自分自身に次のように言いきかせる大切な技術を学ぶべきです、「ここに、つまりキリストのところに、私の魂は憩うことができる。だから、私はもう決して飢え渇く必要がない」



330

それを聞いてイエス様は言われました、「健康な人[8]は医者が要りません。要るのは病人で
マタイによる福音書912節)

ここでキリストが意味しておられるのは、罪、死の恐怖、肉悪魔の誘惑に苦しめられ圧迫されている人々のことで。もしもあなたの気持ちが重苦しく、自分が弱っていると感じるときには、主に信頼して聖餐式に参加し、聖餐があなたを元気付け慰め強めてくださるようにしなさい。もしもあなたが先に述べたすべてのものから解放され汚れのない立派な者として聖餐式に参加できるような時の到来を待とうものなら、永久に待ち続けなければならなくなるのは確実です。



331

人は自分自身を吟味しなさい。それから、こうしてパンを食べ杯から飲みなさいコリントの信徒への第の手紙1128節)

自分を正しく吟味する者は、他の人々をその罪のゆえに裁いたりせず、それを忘れ去る用意ができています。彼は、自分が多くの罪や過ちによって苦しめられている身であることを知っており、それゆえキリストの恵みと助けとを強く待ち望んでいます。これこそが、最も素晴らしく最もふさわしい、聖餐式に向けて自分を整えるやり方なの。アウグスティヌスもこう言っています、「この平和を求めているのは、飢えている者や空ろな魂だけであり、満足しきった傲慢な者はそれを必要としていません


[1] 属格の独立的用法。現在形。
[2] 動詞はすべてアオリスト。直説法の動詞は、「裂く」と「言う」。残りは分詞。
[3] 両方とも命令形。
[4] 現在分詞。継続的用法。聖餐式では祝福された杯のぶどう酒をとおして、十字架で流されはじめたイエス様のまことの血が、今でもまたこれからも、配られている。
[5] ルターが大教理問答書で引用しているアウグスティヌスの言葉。
[6] 否定辞+接続法アオリスト3人称単数形。禁止を表す。
[7] 未来形。
[8] あるいは「強い人」。