2011年1月24日月曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」5月1日~5日

 
51

あなたたちは求めつづけなさい[1]。そしてあなたたちに与えられるでしょ[2]あなたたちは探しつづけなさい。そしてあなたたちは見出すでしょう。あなたたちはたたきつづけなさい。そしてあなたたちに開かれるでしょう。
マタイによる福音書778節)

もしも祈りをたった一日でも怠ると、私は暖かさや信仰の大部分を失ってしまいます。唯一最も明瞭で確実な祈り方次に述べます。奥の部屋か目立たない部屋の隅に引っ込みなさい。嘆きため息をつき神様にすっかり心を打ち明けなさい。忠実な天国の様なる神様はあらゆる困難においてあなたに助言と救いの手差し伸べようと望んでおられること慰められ、また依り頼みなさい



52

また、私はあなたがたによく言っておきます。もしもあなたがたのうち二人がこの地上で心を合わせ、すべての事柄について願い求めるならば、それは天におられる私の父から彼らに与えられるでしょう
マタイによる福音書1819節)

主の祈りが教会にとってどれほど強固な防壁であ、神様を畏れるクリスチャンにとってどれほど強力な武器であるか、恵みと祈りの御霊をいただいているクリスチャン信仰者だけが知っています。死も逃げ去るほどに、クリスチャンたちが互いのために一緒になって祈り、力づけられるために、主の祈りは人々をひとつにし互いに結びつけます



53

あなたの御名が聖とされますように。
マタイによる福音書69節より)

神様の御名はそれ自体聖であり私たちが聖とするものではない、ということに注目しなさい。なぜなら、神様の御名はすべてを、私たちさえも、聖とするからで。聖キュプリアヌスも言っているように、私たちは御名を自分自身においても聖とするべきで。なぜなら、そのとき神様がすべてとなり人間は取るに足りない者になるからで。これが実現するのは、神様の御言葉について純粋かつ明瞭に教えがなされ、私たちが神様の子供として御言葉の通りに信じ正しく生きるときで。私たちがこのように信じて生きるように、愛する天のお父様助けてください!しかし、神様の御言葉に反対して教えまた生きる者は、神様の御名を私たちの只中で汚すことになります。私たちがそうならないように、愛する天のお父様、守ってください!



54

そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々があなたがたのよい行いを見て天におられるあなたがたのお父様をあがめるようになるためです。
マタイによる福音書516節)

よい行い」とキリストが呼んでおられるのは、私たちがキリストの教えを熱心に実践し、告白し、またそのゆえに苦しむことで。このことからわかるのは、ここで語っておられるのは、私たち皆が愛をって互いに行うべき普通のわざについてではなく、なによりもまず、正しく教え信仰について助言しその成長を支え強めることによって実践される、正しいキリスト教的な行についてです。



55

あなたの御国が来ますように。
マタイによる福音書610節より)

自分の力に頼るとき悪魔の王国に加担せずにすむような者はひとりもいません。それゆえ「あなたの御国が来ますように」祈るべきです。神様の御国はこの世で始まり大きくなっていきますが、それが完全になるのは永遠の世においてで。預言者ゼカリが素晴らしい言葉で描いているように、キリストの御国において働いてくださっているのは、恵みと祈りの御霊で。御霊は、信仰者の心に住んでおられ父や御子と共に話しかけ、働きかけ、慰め、罪や死や悪魔の力に打ち勝つための忍耐を与えてくだいます


[1] 命令法現在形。継続的用法。以下同様。
[2] 未来形。以下同様。