5月11日
(「マタイによる福音書」6章12節)
神様が罪について話されるとき、それは大きなひどい罪についてです。罪の赦しは遊びごとではなく、全くの事実です。もしもあなたがこのことを本当に理解しているなら、そこには二つの面があることに気がつくでしょう。あなたがどれほど義しい人であったとしても、罪はあなたからあなたの聖さをすっかり奪い取ってしまいます。一方、罪の赦しは罪と怒りをすっかり覆い隠してくれます。このように、あなたの罪があなたを地獄へと追いやることも、あなたの義しさがあなたを天国へと引き上げることもありません。このことを正しく理解している人こそ真に専門家の名にふさわしいのです。しかし、生涯にわたってこのことを学び続けるのを恥ずかしく思ったりしないために、私たちには皆、謙虚になる理由があるでしょう。
5月12日
もしも私たちが「自分たちには罪がない」と言うなら、私たちは自分自身を欺いており、真理は私たちのうちにはありません。
(「ヨハネの第一の手紙」1章8節)
クリスチャンを外から見える生活態度に基づいて評価することはできません。なぜなら、たとえ人が自分の良心に反するような罪の生活を公然と送っていない場合であっても、それで「その人には罪も落ち度もない」ということにはならないからです。それゆえ、クリスチャンは日々「私たちの罪を赦してください」と祈るのです。(中略)クリスチャンを知り正しく評価したい者は、それを信仰において行いなさい。
5月13日
私たちを誘惑に引き入れないで、悪より救い出してください。
(「マタイによる福音書」6章13節)
神様が誘惑自体を取り除いたり無くしたりはされないにせよ、私たちに誘惑と戦う力と強さを与えてくださるのは、誘惑へと引き入れることとはちがいます。私たちがこの身体のうちに生き悪魔が近くにいる限り、誘惑に陥らない者はひとりもいないからです。事態は変わりようがありません。私たちは誘惑に苦しまなければならず、誘惑の中で生活さえしなければなりません。しかし私たちは、誘惑の中で罪に陥ってついには滅んでしまうことがないように祈るのです。それゆえ、天のお父様に頼って心からこう願うよりほかに助けはありません、「愛する天のお父様、あなたは私が祈るように命じられました。私が誘惑の中で罪に落ち込まないようにしてください!」。
5月14日
あなたたちの心を騒がせてはいけません。
(「ヨハネによる福音書」14章1節より)
この慰めの御言葉は私たちの救い主の「決別の辞」全体に明瞭に響き渡っています。その辞のなかで、キリストは弟子たちに平和の遺言を残してくださいました、「なぜあなたたちは恐れ心騒がせているのですか。この私自身が『あなたたちの心を騒がせてはいけない』と、前にも言い今もまた言っているではありませんか。しかも私があなたたちに言うことを、私の父もまた言われているのです」。これに対して天国の天使たちも全員こう叫んでいます、「本当です!」。
5月15日
私たちを悪より救い出してください。
(「マタイによる福音書」6章13節後半)
「主の祈り」に神様は私たちが陥りうるあらゆる苦難を要約してくださいました。それは、私たちが祈りを怠る場合に理屈をつけてそれを正当化できなくするためです。また、私たちが「祈りはすでに聞かれており、いつか必ず実現する」と信じて、祈りに「アーメン」と言えるようになることも、力を与えます。揺るがない信仰は祈るときに風を切るような真似はせず、私たちの祈りを聞いてくださると約束された神様が決して偽りを言われないことを知っているからです。