2011年1月28日金曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」5月11日~15日

  
511
   
私たちが私たちに負い目のある者たちを赦した[1]ように、私たちにも私たちの負い目を赦してください。
マタイによる福音書612節)
   
神様が罪について話されるとき、それは大きひどい罪についてです。罪の赦しは遊びごとではなく全くの事実。もしもあなたがこのことを本当に理解しているなら、そこには二つの面があることに気がつくでしょう。あなたがどれほどしい人であったとしても、罪はあなたからあなたの聖さをすっかり奪い取ってしまいます。一方、罪の赦しは罪と怒りをすっかり覆い隠してくれます。このように、あなたの罪があなたを地獄へと追いやることも、あなたのしさがあなたを天国へと引き上げることもありません。このことを正しく理解している人こそ真に専門家の名にふさわしいのです。しかし、生涯にわたってこのことを学び続けるのを恥ずかしく思ったりしないために、私たちには皆謙虚になる理由があるでしょう

   
  
  
512
  
もしも私たちが「自分たちには罪がない」と言うなら、私たちは自分自身を欺いており、真理は私たちのうちにはありません
ヨハネの第の手紙18節)
  
クリスチャンを外から見える生活態度に基づいて評価することはできません。なぜならたとえ自分の良心に反するような罪の生活を公然と送っていない場合であっても、それで「その人には罪落ち度ないということにはならないからで。それゆえクリスチャンは日々「私たちの罪を赦してください」祈るのです。(中略)クリスチャンを知り正しく評価したい者は、それを信仰において行いなさい。
  
  
  
513
  
私たちを誘惑に引き入れないで、悪より救い出してください
マタイによる福音書613節)
  
神様が誘惑自体を取り除いたり無くしたりはされないにせよ、私たちに誘惑戦う力と強さを与えてくださるのは、誘惑へと引き入れることとはちがいます。私たちがこの身体のうちに生き悪魔が近くにいる限り誘惑に陥らない者はひとりもいないからで。事態は変わりようがありません。私たちは誘惑に苦しまなければならず、誘惑の中で生活さえしなければなりません。しかし私たちは、誘惑の中で罪に陥ってついには滅んでしまうことがないように祈るのです。それゆえ天のお父様に頼って心からこう願うよりほかに助けはありません、「愛する天のお父様、あなたは私が祈るように命じられました。私が誘惑の中で罪に落ち込まないようにしてください!」
  
  
  
514
  
あなたたちの心を騒がせてはいけません
ヨハネによる福音書141節より)
  
この慰めの御言葉は私たちの救い主の決別の辞全体に明瞭に響き渡っています。その辞のなかで、キリストは弟子たちに平和の遺言を残してくださいました、「なぜあなたたちは恐れ心騒がせているのですか。この私自身が『あなたたちの心を騒がせてはいけない』と、前にも言い今もまた言っているではありません。しかも私があなたたちに言うことを、私の父もまた言われているので。これに対して天国の天使たちも全員こう叫んでいます、「本当です!」
  
  
  
515
  
私たちを悪より救い出してください。
マタイによる福音書613節後半)
  
主の祈り」に神様は私たちが陥りうるあらゆる苦難を要約してくださいましそれは、私たちが祈りを怠る場合に理屈をつけてそれを正当化できなくするためで。また、私たちが祈りはすでに聞かれており、いつか必ず実現すると信じ、祈りに「アーメン」と言えるようになることも、力を与えます。揺るがない信仰は祈るときに風を切るような真似はせず、私たちの祈りを聞いてくださると約束された神様が決して偽りを言われないことを知っているからで
 

[1] 完了形。