2011年1月17日月曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」4月16日~20日

 
 
416

主は牧者のようにその群れを飼い、その腕に小羊たちを抱きかかえ、その懐に入れて携え、母羊たちを導かれます
イザヤ書4011節)

キリストを次のようなお方として描いて説教すべきで。キリストは、たとえどれほどろうとも、誰ひとり、お見捨てにりません。御自分が常に義し良い羊飼いであること理解するようになるために、一人一人を集め、慰め強めてくださるのです。そのようなお方としてキリストを宣べ伝えれるならば、人々はキリストの御許へと、無理強いなくても自分から進んで、また誰に急き立てられるでもなく、やって来るようになるでしょう



417

私はよい羊飼いで。私は私の羊を知っており、私の羊は私を知っています。それはちょうど、父が私を知っているように私もまた父を知っているのと同じです。私は羊たちのために私の命を差し出します。
ヨハネによる福音書101415節)

ということは、私たちは自分の中にある何かや自分を通して生じる何かに基づいてクリスチャンになるのではないのです。それではどのようにして私たちはクリスチャンになるのでしょうか?キリストを知り、キリストを愛することによって、また、御自分の羊のためにその命をささげまた御自分の羊のことを知っているよい羊飼いとしてキリストを受け入れることによってのみ、私たちはクリスチャンになるのでそして、キリストそのような方であられたいと望まれていま。こを知ることほかならぬ福音の御言葉によって生じる信仰なのです。



418

私の羊は私の声を聞き分けます。私は彼らを知っており、彼らは私に従います。私は彼らに永遠の命を与えます。彼らは決して滅びず、誰も彼らを私の手から奪い去ることはありません
ヨハネによる福音書102728節)

あなたがこの良い羊飼いを知っているときには、悪魔や死から守られてこう言うことができます、「私神様の戒めを守らなかったのは確かです。しかし、私は愛する主イエス・キリストの羽の保護の下へと逃げ込みます。神様の御前において、主は愛する私の羊飼い、ビショップ、仲介者であられ、御自分の無垢によって私を覆って守り、また私に御自分の義を賜ってくださる、と私は信じます



419

花嫁がいるのは花婿で。脇に立っている花婿の友人は彼に聞き入り、花婿の声のゆえにおおいに喜びます。それと同じ私の喜び今や満たされまし[1]
ヨハネによる福音書329節)

この世にはその始まりから終わりまで、ただおひとりの花婿キリストがおられたし、またおられることになります。この世の始まりから終わりまでキリストを信じる教会はキリストの花嫁で。ヨハネがキリストを花婿と呼んでいるのは大いなることで。なぜなら、花婿と花嫁所有しているものは、ふたりに共通のもちものだからで



420

そういうわけですから、今やいかなる滅びの宣告もキリスト・イエスにある者には下されません
ローマの信徒への手紙81節)

信仰は、花嫁をその夫へと結びつけるように、魂をキリストへと結びつけます。キリストのもちものはすべて信仰者の魂のもちもので。信仰者の魂のもちものはすべて、キリストのもちもので。キリストには祝福と救いのみがあり、それらはまた魂のもちものとなります。一方魂には罪や不義がありますが、それらはこうしてキリストのもちものとなります。これ祝福された交換売買す。


[1] 完了形。