2011年1月14日金曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」4月11日~15日


411

イエス様は彼女に言われまし「私にさわってはいけません。私はまだ父の御許に上っていないのだから。私の兄弟たちのところへ行って、彼らに「私は、私の父、あなたたちの父、私の神、あなたたちの神、であるお方の御許上っていく」と言いなさい」
ヨハネによる福音書2017節)

キリストは私の兄弟で。キリストは私が彼の兄弟姉妹であり私がそのことを心の底から信じることを望んでおられます。私はそれにふさわしい者ではありませんが、私にはそれが必要なの。たとえ私がそれを必要としていないとしても、神様はまことの神として敬う」のが当然であるようなお方です。もしも私がそれを信じないなら、私は最悪の罪を犯、神様をひどく侮辱することになります



412

そのときイエス様は彼らに言われまし恐れてはいけない。あなたたちは行って、私の兄弟たちにガリラヤヘ行くように言いなさい。そこで彼らは私を見るようになるでしょう
マタイによる福音書2810節)

これらキリストの御言葉は本当に素晴らしく愛されるべきものなので、信じたいと願う者は全生涯を通じ、この世の終わりまで、これらの言葉から信じるべきことがらを溢れるほどに見つけます。それは、この箇所において満ち溢れるほどに信じるべきものをもっている使徒たちの場合と変わりません



413

聖とする方も聖とされる者たちも、同じひとりの父から出ています。それゆえ、聖となさる方は彼らを兄弟と呼を恥じることなくこう言われます、「私はあなたの名を兄弟たちに告げ知らせ、教会であなたを賛美するでしょう
ヘブライの信徒への手紙21112節)

この箇所で特に注意を払うべきなのは「兄弟」という言葉で。ここで神様が保証されている通り、もしもキリストが私の兄弟ならば、私はキリストと共に財産、遺産、キリスト御自身のすべてをもっていることになります



414

私はあなたの御名を私の兄弟たちに告げ、会衆の中であなたを賛美したいのです。(・・・)私は主を畏れる者たちの前で私の誓いを果たします。貧しい者は食べて満ち足りなさい。主を求めるは主を賛美しなさい。どうかあなたたちの心が永遠に活きるように。
詩篇22232627節)

たちは、この「主兄弟である」という関係を修復できなくなるほどに、深く罪に沈みこんだり、悪い罪過を犯してしまうことはありえません。なぜなら、この兄弟性は永遠で終わりがなく、むなしくなることもないからです。



415

私は、消えた者を探し、迷った者を連れ戻し、傷ついた者を包み、弱った者を強めます。しかし私は、肥えた者と強い者とを滅ぼします。私は公平をもって彼らを牧します
エゼキエル書3416節)

ここからわかるように、キリストの王国は、疲れ果てた者、病気の者、傷ついた者の只中でキリストが働かれ、彼らの世話をし、彼らを助けてくださっている場所で。これは慰めに満ちたメッセージでそれなのに、私たちは自分の危機と悲惨に気がつきません。主が私にこのように憐れみ深くあられるのを見るとき、主は私の心をすっかりとらえ、私は主の御許へと馳せますそして、そこからさらなる深い喜びが生じるのです